2011-10-27 Thursday
最初で最後の野球大会
 
 「早稲田大学古美術研究会」最初で最後の野球大会が行われたのは1968年秋だった。場所は世田谷区民グランド、申し込んだのは古美研庭園班の1年生カナイミサコさん。ミサコは美しい朝の子と書く。企画したのは1年生ホリオカ、イノウエ。グランド予約の顛末は「書き句け庫」2006年3月7日「庭園班OG(1)」に記したのでくりかえさないが、世田谷岡本町のカナイさん宅へ行ったときのむせかえるようなキンモクセイの香りはくりかえしたい。
 
 野球大会の一件を同期・諸先輩に伝えたら、硬球を使うか軟球かで一悶着、誰が出るかでまた一悶着。日取りが決まってすぐ、安部球場を借りて練習試合をしようと言い出す者、練習もしていないのに練習試合はないだろうと冷やかす者、とにかくどこでもいいから、法学部校舎横かぺんぺん草が生えている商学部の隙間でかまわないからキャッチボールしようと言う者、バッティングと守備練習はほかの場所でやるしかないと意見する者、ほかにも侃々諤々言い出す者、さまざまな声が上がった。
 
 複数の先輩が安部球場を借りて打撃と守備を練習したらしい。そこまでやるかと思った者もいたようだが、練習して正解、結果は出なくても足腰鍛えられた。安部球場は1987年に閉鎖されていまは存在しないから、かつてそこで練習したということ自体いい思い出になったのではないだろうか。ハナから野球大会なんか興味ないと無視する先輩も少数いたが、それはそれ、気持ちのある者が参加すればよい。
 
 古美術研究会といえばやさおとこの集まりと思う方もおられるだろうけれどさにあらず、中学高校時代、野球部に所属していたという者、ピッチャーをしていたという者もいた。ホンマかいな、出場したさにいいかげんなことを言っているのではと訝ってもみたが、キャッチボールをして分かった。球は速いし、コントロールはいい、投球フォームも堂に入っていた。本番でピンチを迎えたらどうなるかわからないが。
発案企画サイドの特権をふりかざしてホリオカ、イノウエ両名は無条件で出場資格があると主張、先輩たちも渋々認めざるをえなかった。出場者18名がどのように選別されたか詳細は忘れたが、古美研代表幹事のスガさん、企画幹事のウメザワさんが自薦でチーム・キャプテンになり、チームメンバーはアミダで決まった。
 
 野球大会当日(最終日曜の10月27日)は朝からどんよりした空模様で、気温も平年より6度くらい低い肌寒い日だったが、1,2年の女子応援団が大挙8名やって来た。黒っぽい厚手のブルゾンを瀟洒にまとい、すこし遅れて到着したカナイさんの顔には寒いネと書いてあった。行くかどうかわからないと曖昧なことを言っていたが、田園調布雙葉時代の朋友S・ケイコさんは来なかったのに、よく来てくれた。
 
 試合前に身体をほぐしていると、スガ・ウメザワ両人が浮かぬ顔して言った。「球審はだれがやるんだい?」
みなが打って投げてしか考えてないことに気づいた。われわれ主催者も同様。「補欠のノモトさんにお願いしましょう」と返答したら、スガさんが「ダメだよ、ノモトは。選球眼よくないから」と言う。「オマエしかいないよ、きちんとやれるのは」 これはほめ言葉ではなく発案企画者の責任という意味だ。
事前に球審の人選をしなかったのは明らかにミスだった。ホリオカに押しつけるのもかわいそうだし、ここは自分が球審をやるしかない。試合前のエラーは痛かったが、スガ・ウメザワ氏に、「わかりました、やりましょう」と応えるほかなかった。ノモトさんが交代選手である。
 
 いちおう始球式もあった。キッコという白百合出身の女性(1年生)でどうかとスガさんは言ったが、私は反対した。「せっかくクリハラさんもみえているのですから、1年のキッコより3年のクリハラさんにお願いしてみては」と言うと、スガさんはすんなり同意した。
クリハラという女性は四谷雙葉出身の特段どうということのない先輩である。始球式適任者の顔をチラっと見たら、ブルゾンごといやヨと合図を送ってきたのでクリハラさんの名を口走っただけなのだ。
 
 球審の「プレイボール!」という怒鳴り声で野球は始まった。
スガチームの先発は都立駒場高出身で文学部ロシア文学科の1年フジサキ。フジサキは藤咲と書き、名前は博久。藤が咲くなんてなんとステキな名だろう。博久も響きがいい。いいのは名前だけではない。
自然で落ち着いた所作。肩幅が広くがっしりした腰、彫りの深い顔、ワシのような鼻、愁いをおびた孤独で蠱惑的な目。口数少なくはっきりモノをいうクチ。意志の強さを象徴するアゴ。しかし照れ屋。同期ではイガワ、ホリ、ホリオカ、途中入会したシオジリなどもよかったが、いぶし銀のフジサキは逸品、イガワとともに図抜けて大人だった。
 
 フジサキの直球は威力があり、ノーワインドアップから速い球をビュンビュン投げてきた。速球は低めにコントロールされ、打席に立つ者はバットの芯でとらえられずひっかけてしまい、内野ゴロになった。
ウメザワチーム先発の左腕イズミダさんは王貞治が活躍した早実出身。まっすぐはそれほど速くないが球にキレがあり、大きく曲がるカーブを混ぜる配球のよさで、打者はタイミングをはずされ凡打した。捕手は早稲田第一高等学院出身のウメザワさんである。
 
 先発投手は上々の立ち上がりで、フジサキもイズミダさんも3回までは打者に塁を踏ませなかった。動きがあったのは打者が一巡した4回表である。先頭打者をファールフライに打ち取り、ウメザワさんが打席に入ったところで、それまでの投手戦に業を煮やしていた女子応援団から黄色い声が飛んだ。「ウメザワさ〜ん、がんばって〜え!」。もともとタレ目のウメザワさんは、「ご声援ありがと、ホームランかっ飛ばすからね」と一段と目尻を下げた。
 
 1球目、2球目とボールを見逃したあと、ストライクを取りにきたフジサキの直球を鋭いスィングで叩いた。しかしバットは鈍い音を立て、打球はひょろひょろとショートの後方へ上がった。ショートを守っていたホリオカも、レフト、センター各外野手も猛烈な勢いで打球を追ったが、当たりの悪かったのが幸いしてボールは3者の真ん中にポトリと落ちた。一塁ベースに立ったウメザワさんは、にぎやかな花がいっせいに咲いたような応援団に向かってガッツポーズをとった。「イエイ、イエイ」なんて言いながら。なんであれ初ヒットである。
 
 次に打席に立ったのは、石川県立小松高出身のホリだった。ホリは中学時代野球部に所属していたのだが、いつのころかやめてしまったそうだ。最初の打席は力んでボールの下を叩き、内野フライに終わったホリは、うそ寒いグランドに開いた花を色づけする鮮やかなライナー性のヒットをレフト前に放った。
レフトから内野への返球があらぬ方向へ転がるすきに走者はそれぞれ塁を進め、ワンアウト2,3塁となった。3回まで低めにコントロールされていたフジサキの速球が上擦ってきたのを見逃さなかったのである。4番打者のマセさんは、気持ちを立て直したフジサキにツーストライク・ワンボールと追い込まれたが、決めにきた低めのストレートをうまくすくい上げた。センターへ飛んだ球が捕球された瞬間、3塁ランナーのウメザワさんがタッチアップして、喉から手が出る1点が入った。
 
 その裏、それまで打たせてとるピッチングを続けていたイズミダさんが、先頭打者で甲府一高出身のハギワラさんを四球で歩かせた。2番バッターのスガさんが打席に入り、イズミダさんが1球目を投げたとき、ハギワラさんが盗塁を試みた。
いいスタートだった。それを読んでいたかのようにウメザワさんは猛然と2塁に送球した。軽快なフィールディングでセカンドカバーに入った静岡高出身イシガミさんへドンピシャの球が送られてきた。フルスピードで走ってきたハギワラさんは、信じられないという顔で言った。「なんだ、アウトかよ。」
 
 応援席に咲く花々からやんやの歓声が上がり、ウメザワさんは「まぐれ、まぐれ」と言う。スガさんは結局、ストレートのフォア・ボールだった。スガさんへの4球目がウメザワ捕手のかまえる位置から大きくはずれたとき、イズミダさんが素っ頓狂な声を上げた。「おおいッ、ストライクが入らないよ!」 「ドンマイ、イズミダ、かあるくいこうぜ」、ウメザワさんが大声で応えた。
 
 3番バッターの千葉・市川高出身のカワサキさんは二度目の打席で制球力を失ったイズミダさんから三遊間をきれいにやぶるヒットを打った。1年生で4番、早稲田高出身のホリオカは最初の打席でレフトにライナー性のいい当たりを放ったが、レフトを守るホリの好守備に阻まれていた。
ホリオカは、初球ストライクを取りにきたイズミダさんの真ん中ややインコースよりの甘い球をバットの芯でとらえた。バットは快音を発し、ぐんぐん伸びていった。レフトのホリは一目散に後方へ走ったが、打球の速さ、勢いに軍配が上がった。スリーラン・ホームランである。
 
 呆然たる面持ちのイズミダさんを尻目にホリオカはニコニコしながら帰ってきた。「ホリオカ、おまえ、やるなあ」とウメザワ捕手。「まぐれ、まぐれ」とホリオカが言い返す。
試合はその後8回まで膠着状態が続いた。イズミダさんをリリーフしたホリが、ダイナミックなオーバースローから繰り出す速球と、ときおり投げる緩い球にスガチームはタイミングをはずされ、打ちあぐねていた。かろうじて、バットをすこし短く持ちかえたホリオカがヒットを打ったくらいである。
 
 スガチームのピッチャーもフジサキからキタワキに替わっていた。キタワキのいでたちは本格的で、野球用のユニホーム、スパイク、帽子もイニシャル入りを身につけていた。みてくれだけでなく投球もなかなかのもので、ウメザワチームが2点差を追いつこうとしてセーフティ・バントしたり、ホームベース寄りにかまえてピッチャーを撹乱しようとしたが、そのつどキタワキは冷静に対処した。
 
 ところが、9回表、ツーアウトで打席に立ったウメザワさんが、尻上がりに調子を上げていたキタワキから左中間を破る3塁打を放ったのである。3塁まで全速力で走ったウメザワさん、肩で大きく息をしながら言ったものだ。「ホリ、たのむよ、ホームラン」。
ホームベースから見るキタワキの表情には緊迫感と、しかし絶対押さえてやるという強い意思がみなぎっていた。全力で投げた球は2球続けてアウトコース寄りのストライク。見逃したホリの顔は見えなかったが、妙に落ち着いていた。そう思った矢先、勝ち急いだのか、キタワキの3球目がシュート回転して真ん中に入って来た。ホリのバットは快音を上げ、球はレフト方向に高々と飛んでいった。
 
 レフトを守っていたカワサキさんは、目測を誤ったのか、いったん前進し、打球が思いのほか伸びるのに気づき急いで後退した。ボールの落下地点まですんでのところで間に合ったけれど、ボールはグラブの土手に当たって(試合後、カワサキさんから聞いた)地面に落ちていった。土壇場のランニング・ホームランにキタワキはもちろん、スガチームは色を失った。「ホリさま、カミさま、ホトケさま」。先に本塁を踏んだウメザワさんがホリを待ちかまえて言う。3対3になった。そうして9回裏をむかえたのである。
(ホリは37年後の2005年、ホームランを思い出せないと言っていた。会心のホームランではなかったからだろうか、あるいは9回裏の印象が強かったからだろうか)
           
 
 
 詳しく覚えているのは、球審をやったおかげで全員のプレーを見渡せる位置にいたこと、出場者の多くが予想外の好プレーをみせ、試合が白熱・拮抗していたこと、野球している者は熱かったと思いますが、球審は寒かったことによるでしょう。9回裏、ホリオカがホリからサヨナラホームランを打って、4対3でスガチームが勝利しました。
ゲーム終了直後のホリの言葉。「天覧試合の長島みたいだなあ」。2006年5月、再会したホリオカ、ホリとコーヒーを飲んでいると、ホリオカが突然「先日の野球でホームラン打ったよ」と言った。われわれの顔を見るとあのときの記憶がよみがえってくるのでしょうか。古美研時代のことはほとんど忘れたとも言ってました。
 
 2006年夏、カナイさんから「二人目の孫が生まれ、名実共におばあちゃんとして忙しくしております」と便りがあり、昔日の感しきりといった塩梅です。
 
 野球大会は先輩後輩の分け隔てなく熱中し、打ち取らねばならない、守りきらねばならない、打ってみせよう、走ってみせようという心意気に満ちあふれ、みな溌剌としていた。ピッチャーズマウンドで投げるフジサキ、キタワキの表情は、時間の順序は逆として、アテネ五輪の岩隈と黒田を想起させる。
ふだん決して見せることのない岩隈の般若のごとき形相、黒田の夜叉のような顔。イズミダさん、ホリとて負けていなかった。4人のピッチャーからは親睦という意識は吹き飛び、ひたむきに投げた。熱投と呼ぶにふさわしかった。球審はワクワクしながらみていた。
 
 
       下の画像は野球大会の翌年1969年8月の古美研「全体合宿」記念写真です  クワシマ君提供


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