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天皇皇后両陛下や外国からの来賓の乗った車はここに停まる。
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小堀遠州が作事奉行として仙洞御所の造営に着手したのは寛永4年(1627)
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中島は鷺島ともいう。西側からのぞむこんもりした茂みは鷺の森とよばれている。
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北池と南池をつなぐ堀割。舟で北と南を往き来するのはここしかない。
小堀遠州作の当時の庭園は直線的であったらしく、南蛮菊(ひまわり)やローマ菊(コスモス)などが
植えられていたという。異国趣味があったのだろう。後水尾天皇は自分好みに変えていった。
鬱蒼としたもみじが、夏に涼感を、秋に絢爛をもたらす。
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大伴黒主の盗作和歌を、小野小町が料紙を洗って見破ったという故事に由来。
画像右下の平らな石の上で料紙を池の水に浸したとされるが、後世の付会であろう。
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南池にかかる石橋の藤棚。西半分は下がり藤、東半分は上り藤。藤のシーズンは終わっていた。
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日射しが強烈で、涼をもとめてしばし休息したいところだが、時間内の拝観が先を急がせる。
藤棚をくぐって対岸に行くのが順路であるから、なおさら立ち止まりたい。
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南池には粒ぞろいの石11万1千個ほどを敷き詰めた州浜があり、木々が緑陰をつくっている。
小田原城主・大久保忠真献上の石。石一個と米一升を交換に集めたというが本当だろうか。
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この桜の木、開花時にみていないので確かなことはいえないが、小さく美しい実が
ポツポツなっていることからオオシマザクラの一種と判ずるのが妥当かもしれない。
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出島の東に架かる石橋。山内家が献上したと伝わる。順路にはいっていないから橋を渉ることはできない。
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文化元年(1808)に再建された醒花亭は、南池の南端に北向きに立つ。
ということは庭全体を眺めるのに最適なのだが、宮内庁の役人、なかには入れてくれない。
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近衛家から明治17年に献上された37uほどの茶室。右側の大きな丸窓が特徴的。
茶室というとなぜか隠れ家を思い起こしてしまう。茶室にはそうした雰囲気があるのだろうか。
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シンプルにみえる又新亭も、茅葺きとこけら葺きの二種類の屋根を持つ。
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三條白川橋石材を短冊に切りだし、二枚をずらせて並べた石橋。
八つ橋ともいわれたが、南池の藤棚のある橋を八つ橋と呼ぶ都合上、この橋は石橋といって区別する。
この画像も2009年12月10日撮影。
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入山は午後4時すこし前。そのとき人は4人いたが、約10分後にいなくなって貸し切りに。
ここまで来ると空気もおいしく、樹々をわたる風がなんとも心地よい。静けさのなか、キビタキの
ポッキリリ、ポッキリリと軽快にさえずる声がきこえてきた。午後5時の閉門までのんびり過ごす。
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雑木林からきこえてくるキビタキの声は梢をかけめぐり、石組みをくだって、書院をわたる風になる。
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