2019年2月17日    高田牧舎 早稲田
 
 早稲田大学正門から文学部へ至る小さな通りの途中にあった2階建てレストラン「高田牧舎」でランチを後輩2人と連れだって食べていたのは1969年初夏から初冬だった。
その年の春入学し古美研庭園班に入った後輩にはみどころがあり、生涯にわたり交流をつづけるかもしれないと思える人たちが複数いた。そのなかの二人、都内出身のMY君、横浜のKY君は昼休みとか講義のない時間帯になると学生会館に出入りしていた。
 
 私は古美研の渉外幹事と関東古美術史跡連盟の幹事を兼任していた関係上、学館(学生会館)への出入りは日常化し、学館入口近くの2つの長椅子に腰をおろした石上一雄さん(代表幹事)、谷口宗男さん(副代表幹事&石彫班チーフ)と会い、報告がてら歓談。石上さんも谷口さんも良き先輩だった。
そして史跡連盟に加盟していた大学の同好会(主に古美研)の会合(新宿・池袋などの喫茶店)や、各大学でおこなわれる月例会の出席などに追われる日々を送っていた。
 
 MY君、KY君が来る前年、誰とランチを共にしていたのか記憶は定かでない。行動を共にする機会の多かった同期のHH(彫刻班所属)と食事していたように思う。しかしHHは2年になってまもなく学館へ来る回数が減った。
 
 MY君、KY君とは日曜を除いてほぼ毎日会っていたのではないだろうか。学館に来ても二人は先輩たちに遠慮してソファに座らず、入口付近とか、ソファからすこし離れたところに立っていた。
なかには不愉快な先輩もいたろうけれど、20歳になるやならずなのに気配りは人一倍、先輩を立て、自分たちはうしろに控えるといった姿勢を2年間保ちつづけた。
 
 ランチを共にするようになったのは自然のなりゆき。先輩の私と食事することを苦にしていないふうだったし、私は彼らとランチを食べるのが楽しく、お互いどこで食べるか明らかにしなくても足がそっち(適当な食堂)へ向かっていることもあった。
 
 ランチは高田牧舎だけでなく他の食堂でも食したのに、高田牧舎がどこよりも記憶に残っている。高田牧舎へ行くと2階に上がり、窓際の適当なテーブルを選ぶ。メニューについて私は、ハンバーグ、ビーフシチュー、白身魚のムニエルなどのアラカルトにライス。彼らは日替わりランチ。
 
 私が日替わりランチをパスするのは、チキン料理を好まないからだ。日替わりといってもチキンが多いように思えるのである。アラカルトとライスの合計は日替わりランチより高い。ある日、白身魚のムニエルを注文した。同時に運ばれた日替わりランチは寸分違わぬ白身魚のムニエルだった。MY君がすかさず言う、「わっちらのほうが安いのに同じじゃないですか」。
 
 30数年後KY君が古美研掲示板に、「Iさんは50円くらい高いものを注文していた」と投稿した。しばらく笑いが止まらなかった。
 
 高田牧舎2F窓際にはわずかに外の見えるガラス小窓があり、文学部通りはほとんど見えず、それがかえってよかった。愉快な人が通りかかればいいけれど、不快な人であればせっかくの談笑も中断する。われわれ3人の会話は盛り上がった。
語り手と聞き手はその時々で入れ替わり、主にMY君が語り手だったような気がする。「私たちは聞き手でした」と言うかもしれない。語り手は語り手であることを忘れ、聞き手は聞き手であることを忘れず。
 
 高田牧舎の料理も会話の内容もよくおぼえていない。それでも楽しさはよみがえる。彼らも私も窓に近いテーブルに座る。会話中にふと窓を見て、遠くを眺めるような目になる。そういうときの彼らの顔をいまも思い出す。あれから50年、高田牧舎はなくなってしまったが、MY君、KY君との交流はいまのところつづいている。
 

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