2019年2月19日    銀座 香港
 
 香港の銀座。知らなければ何かと思う。銀座と名のつく場所は全国至るところにあり、おおむね商店街である。香港の「銀座」は1980年代初め〜1990年代半ば、ショッピング・ビル「ニューワールド・センター」(九龍半島)の地下にあった。ニューワールド・センターの一角は、記憶が正しければ1Fから5Fまで店舗が入り、どの店もファッショナブルな装いを凝らし、高級品を扱っていた。6F以上はオフィス。ビルの裏は海で、香港島が一望できた。
 
 ランチは4回(2泊のときは3回)食べなければならず、10名前後のときや香港の友人と一緒のときなら広東料理店で日替わりランチを食べることもあったけれど、一人で行ったときは、なんとなく中華料理店に入りにくい。そういうとき、宿泊先のホテル(リージェント・ホテルが多かった)から、至近距離にある日本料理店「銀座」を利用した。
 
 当時の日本料理店で当たり外れのないのは豆腐、麺類、丼物なのだが、冷や奴定食、湯豆腐定食はメニューにないし、丼物は胃がもたれるというときの麺類。銀座のアラカルトで最も多かったのは「なんとかうどん」。メニューを見たら、平凡なキツネうどん、天ぷらうどんを探すのに目がウロウロするほど種類が多い。
注文したのは「肉うどん」。うどんがわずかしか見えないほど牛肉(ロース)が入っており、ささがきした白ネギも相応にばらまかれていた。こういう場合、肉とネギは美味でも麺がよくないか、その逆かである。ところが、それぞれの具材も良く、汁のダシもこれはと思うできばえ。
 
 香港「金田中」に較べると店構えも内装も数段落ちるのだが、大衆的な雰囲気がひとりで食べるのに向いている。テーブル席のほかにカウンター席もある。海側に面して、対岸の香港島と海の見渡せる鉄板焼ルームはランチ時には使われておらず、イスが12席あり、昼間、鉄板焼の席は誰も利用していないと言うので案内してもらった。
鉄板焼ルームのカウンターの形状がよかった。一般的な直線形ではなく半月形なのだ。両端に座る2〜3名はお互いが見えない。声はすれども姿は見えず。
 
 それからというもの10名前後が香港に来れば、ランチはかならず一回は銀座で肉うどんを食べるようになった。店員がメニューを持ってきても誰も見ようとしない。肉うどんの汁を飲み干す人もいた。塩分は少ないとしても、汁をぜんぶ飲めば塩分もなどとやかましいことを言う人も、気にする人もいない。
 
 ひとりで香港へ行くとき、夜は香港在住の友人と食事(広東料理)することも多かったが、ひとりで夕食をとる場合、気楽に食べることのできる「銀座」で好みのアラカルトや、たまにカツ丼を食べたこともある。昼夜とも店員の印象はよく、味もわるくなかった。
 
 料金が手頃だったせいか、日中より夜のほうがにぎわい、鉄板焼コーナーも地元客がひしめいていた。テーブル席はほぼ予約で満席。香港もシンガポールも夜のレストランはブッキング(予約)の世界、予約なしだとレストランからレストランを歩くということにもなりかねない。
 
 1995年3月以来、香港へは行っていない(どこかで述べました)。香港の友人も中国返還(1997年)の前年バンクーバーに渡り、その後カルガリーへ転居。
ニューワールド・センターは2010年にクローズし、定宿の一つ「リージェントホテル」はずいぶん前にインターコンチネンタルと改名。日本料理と鉄板焼の「銀座」が元の場所にあるかどうか知らない。あったとしても、味と店員の良し悪しはご自分で確認してください。

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