2019年2月12日    クリヨン 梅田
 
 かつて大阪梅田の北阪急ビル2Fに「クリヨン」という名のフランス料理店があった。現在の北阪急ビルではなく建て替わる前の北阪急ビルである。そのころ北阪急ビル1F南入口角には日本航空梅田支店もあり、香港発券オープン・チケット8名分の701便(大阪発香港行き)予約のため頻繁に行っていた。
 
 そのころのオープンチケットなどフライト・クーポンは体裁もよく、味もあった。2000年以降、航空会社にもインターネット時代が到来し、国内線・国際線の別なく安っぽいペーパーに印字されただけの航空券となり、ネット購入は自分で印刷するご時世となり、さらにスマートホンを使うチケットレスの時代へと移行する。気軽と思う若者は多いだろうが、お手軽すぎてチケットを購入したという気分になれない。
 
 梅田支店主任・鎌田氏はその後日航の教官として異動、上背がありバタくさい顔の藤田さん(女性)は心斎橋のホテル日航店へ異動、それから第一生命ビル店に異動したが、その後の消息は知らない。
鎌田氏は私より数歳年長、藤田さんは年下だった。2010年の日本航空倒産のすこし前に鎌田さんが定年を迎えたのはさいわいというべきか。藤田さんは2010年以前に退職しているだろう。日本航空は2012年よみがえったが、アジアの巨大航空会社の倒産と再生には驚かされた。
 
 頻繁に香港へ行ったのは1980年代初めから1990年代初めの10年間だったが、1970年代後半、伴侶との交流がはじまったころ、彼女の案内で北阪急ビルの「クリヨン」で食事した。
伴侶の父親は大阪キタ(梅田)とミナミ(難波)で貴金属宝石を経営し、その関連でクリヨンの食事券を10名分ほど持っており、女性に支払ってもらうことに抵抗がある私の気質を知っていた彼女は、あらかじめその旨を伝え、私も諒解していた。
 
 フランス料理といってもクリヨンの料理には海老フライなどの日本料理化した一品もあり、いかがですかとすすめてくれたので海老フライにした。その前に平凡だけれどコーンスープもいけますと言った。スープを一口食べて、こんなにうまいスープがあったのかと思った。海老フライも上々で、タルタルソースも絶品だった。クリヨン経営者の子息がフランスで修業したらしい。
 
 その後、彼女と何度かクリヨンへ行って、そのつどコーンスープと海老フライを注文した。ほかの食べものも注文したはずなのに、スープと海老フライしかおぼえていない。
1970年代の梅田界隈に気のきいた西洋料理店はなく、都市ホテルがほとんどなかった大阪に味自慢のフランス料理店は見当たらず、気位だけ高い有名ホテルのフランス料理店があったくらいのものだ。そういう時代の「クリヨン」は貴重な存在だった。
 
 1970年代から1990年代にかけて繁栄した企業の多くは不況の荒波に飲みこまれて倒産するか、吸収合併された。クリヨンもそのひとつとなり現存しない。伴侶の父が亡くなって長い年月が過ぎた。伴侶の弟が社長となって何年たったろう。
ほかの貴金属宝石店が相次いで倒産するなか不況に耐え、2019年現在持ちこたえている。往時の好景気に浮かれず地道な経営に徹したからなのかどうか、伴侶も私も詳しくは知らない。
 

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