2019年2月11日    101のレストラン イビサ島
 
 1987年3月のスペイン旅行の主目的はこの時期にしかみられないバレンシアの火祭りをみることだったが、マヨルカ島、イビサ島も観光できたのはさいわい。
当時はイベリア航空が羽田からマドリッドまでの直行便を運行しており、乗り換えなしで行けたのも好都合。飛行時間が長ければ負担になる。欧州線航空機の座席クラスの別なく熟睡できる人がうらやましい。到着した時点で身体のすっきり度も違うだろう。
 
 マドリッドのバラハス空港に着いて屋外に出たらアーモンドの花が満開だった。空港到着日はうららかな天候でよかったのだけれど、翌日エル・エスコリアル修道院(マドリッドの北西46キロ)を見学したときは大違い。朝から晴れていたのに、エル・エスコリアル付近へ行くと曇っており、真冬なみの寒さ。
 
 16世紀後半フェリペ2世によって建設された修道院は、スペイン・ハプスブルク家(1504−1700)歴代の王一家の棺が納められている。棺や王家には関心はなかったが、当時のヨーロッパ史に影響を及ぼしたフェリペ2世についてはイングランド、フェリペ2世の父カルロス1世についてはフランスとの関係、サッコ・ディ・ローマ(ローマの劫掠)から目の離せない王であったから、エル・エスコリアルは見ておきたかった。
 
 棺はオペラ座の客席状の棚・数段に安置されており、そうした部屋が無数にあるのだ。20分もしたら骨まで凍るような寒さに身の置きどころがなく、自分が棺に納められているのではないか、修道院自体が巨大な棺桶ではないかと思えた。
熱いコーヒーを飲ませてくれる場所があるはずなので行こうということになり、案内板を探してたどりついた。喫茶店はイスもなく、小さな円テーブルが数個あり、カウンターの向こうで太ったリタ・モレノみたいな女将が凍りついた私たちを見て、「あら、まあ」という感じで瞳を広げた。通常なら避けたいほどの濃さと熱さのコーヒーは地獄で仏、濃いも熱いも感じなかった。
 
 エル・エスコリアルと較べればイビサ島は天国だった。1987年3月の旧市街は観光客もまばらで、迷路のような路地が古い民家を囲み、散策にうってつけ。そんな洋装店の一軒で伴侶が買ったのはイルカのセーター、ゆったりめのグレーのジーンズ。下の写真は当時イビサにあったスペイン「101のレストラン」のひとつのバルコニー。
 
 当夜のコースディナー(セットメニュー)がおすすめということで注文した。最初に出された魚介類と野菜のゼリー固めがおいしく、メイン料理もわたしたち好みのさっぱりした味つけだったと記憶している。
レストランの名は思い出せない、が、海岸沿いの低い岩壁に面しており、海に沈む夕日と空の色がすばらしく、暗くなっても風が冷たいと感じず、入江の向こう岸の街灯りは映画みたいにきれいだった。
 
 伴侶曰く、ジーンズは度々着用したが、イルカのセーターはたまにしか着なかったから今も持っている。ものもちのいいのは私も同じで、30数年前に買ったセーター数枚は着ないのに捨てがたいのだ。
一昨年の春、現在の場所へ引っ越すとき衣料品の半分強を処分した。伴侶も昔の衣料品のほとんどはお払い箱にした。捨てないのは思い出だけである。
 


前のページ 目次 次のページ