昭和55年(1980)ごろから平成5年(1993)ごろまでの約13年間、大阪中央区安土町(あづちまち)の新トヤマビル内にあった建設会社を何度も訪ねた。母の自宅と別宅の戸建を発注した縁で建設会社の社長(大正ヒトケタ生まれ)と親しくなった。
仏教美術(主に彫刻)鑑賞という共通の趣味があり、パキスタン&アフガニスタンでガンダーラ仏に接した小生との会話を楽しみにされていた。数年後、ミャンマー、タイを旅行され、会社の応接室でアルバムを見せてもらった。
ミャンマー、タイ、ラオス3国がメコン川に接する地帯はゴールデン・トライアングルと呼ばれ、そこは麻薬密造地帯なのだが、農業に従事する住民は穏やからしい。1980年代半ばまでミャンマー産のヘロインはタイに密輸され、欧米に流れていた
1990年代、中国へ密輸され、中国経由で欧米に流れる量が激増、ケシ栽培の禁止措置などもあったが、ミャンマーのアヘン生産量は世界一(以前はアフガニスタン)。20世紀の終わりから21世紀にかけて北朝鮮のケシ栽培が増えると社長は予想し、「国家ぐるみで北朝鮮はケシの輸出国となり外貨を稼ごうとするでしょう」と言った。
仏教彫刻の話のあいまに生臭い話題もあり、会話は常時2時間以上に及んだ。ほとんどは夕方に終えるが、冬のある日、話に勢いがついて6時過ぎになった。おそくまで引き留めて失礼しましたと社長は言い、夕食に誘ってくれたが、そうなると何時に帰宅できるかわからなくなるので丁重に断り、外へ出ると真っ暗。
ビル前にある堺筋(通り)は北行きの一方通行(5車線)で日中の人も車も多いが、夜はばったり途絶える。ビルの東側の通り(南行き一方通行)は車がすれ違える程度の道路。小さなビルが集まり、夜は明かりが落ちゴーストタウンさながら、不気味な静けさにおおわれる。
ビルの1階に間口一間くらのレストランがあったのを知ってはいたが、入ったことはなかった。ビジネス街の小さなレストランは味が良くなければつぶれる。
12月下旬の夜風が冷たかった。孤独のグルメみたいに急に腹がへってきた。梅田まで行けば食べるところはたくさんある、だが腹はもたない。ここで食べよう。レストランに入ったのは平成4年か5年の12月下旬だったように思う。
店内は2人用の小さなテーブルが数個、4人用テーブルも数個だったような記憶がある。そのとき思い出した。いつだったか昼時を過ぎていたにもかかわらず店先に行列。近場の勤め人がランチに殺到していた。
夜、テーブルの配置、ほの暗い照明とテーブルの食器など、ランチタイムとは異なる意匠と雰囲気なのだろう、フランスの小さな町のビストロを思わせた。ここなら味もよいだろうとお勧めのカキフライを注文した。カキは小さめがいい。うまみがギュッとつまっている。大きなカキはどろんとして大味、できるだけ避けたい。
はこばれてきたカキフライは小ぶり。、衣はパン粉ではなく別の何かで、揚げぐあいもカラッとしている。ふだんレモンは使わないけれど、新鮮でおいしそうだったので使ってみた。皿に添えてあるタルタルソースも美味。冬場、さまざまなレストランでカキフライを食べてきたが、ナンバーワン。
翌年、レストランの入っていたビルも両隣のビルも解体され更地になった。その後、建設会社との交流も絶え、堺筋本町へ行くこともなくなり、更地に何が建設され、カキフライのレストランがどうなったのか知らない。
12月〜2月、毎月1回カキフライを伴侶にこしらえてもらう。カキ選びは小生の役目。3月になるとカキフライは食べない。ことしの12月、カキフライを食べられるだろうか。
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