2023年5月28日    天狗寿司 大阪市 お初天神
 
 平成7年(1995)1月におきた阪神大震災で書棚が倒れ落ち、割れたガラスの刃が剣となって伴侶に襲いかかる。数本が布団に突き刺さり、停電で自宅の内外の明かりは消えて漆黒の闇。
隣室で飛び起きた小生は、斜めに倒れたクロゼットに額をぶつけ、目から火が出た。数日前、下駄箱を寝室に移動させ、それがクロゼットとベッドの間に入り込み、つっかえ棒になって命拾いしたのだ。
 
 伴侶は揺れた瞬間とっさに布団をかぶり、布団の首から頭の部分にガラスがほぼ直角に突き刺さっていた。しかしかすり傷ひとつ負っていなかった。ほかの部屋の惨状はことばで言い表せない。
書棚とたんす類、食器棚、冷蔵庫のほとんどは倒れ、長年かけて収集した陶磁器、グラスは跡形もなく飛び散り、冷蔵庫の中身は散乱していた。書斎の扉は書棚が倒れて開かず、私たちが無傷だったのは奇跡としかいいようがない。
 
 家のなかはめちゃくちゃになったけれど、伴侶が無事だったから何も惜しいとは思わなかった。九死に一生を得た伴侶は、いつ死ぬかわからないなら食療法してもしかたない、普通食を食べ、ながいあいだ絶っていたお菓子も食べようと決意。
 
 地震の数年前、伴侶が断食療法をはじめる前、道東のドライブで数日行動を共にし、私たち夫婦と懇意にしてくださっていた松浦さんが伴侶の実家を訪れた。誰から聞いたのか、その日、私たちがいると前もって知り、手土産を持ってきてくれた。
 
 竹の皮に包まれた太巻き寿司は磯の香りが匂う上等な海苔、ぴかぴか光るメシ、分厚いドンコシイタケ、色鮮やかでぷりんぷりんの海老、厚焼き玉子などがメシからはみだしそうな勢い。
竹の皮はふたつあり、一本で二人前かと思える太巻きは二本あって、それまで食べたことのないおいしさだった。伴侶と小生が一本食べて、義母に食べてもらったかどうかおぼえていない。一度に食べるのは勿体ない気がして、もう一本は自宅に持って帰ったのかもしれない。
 
 1995年春、映画をみに梅田へ出たとき、映画館がお初天神=正式名は露天(つゆのてん)神社=の近くにあったので、お詣りがてら天狗寿司の太巻を買おう思い足を運んだ。天狗寿司はお初天神のすぐそばなのだが、ガラス戸は閉っており、暖簾は店の内側にかけられていた。松浦さんは昼間もやっています、定休日は日曜だけですと言っていた。
 
 帰路につこうとしたまさにその瞬間、隣のスナックからほうきを手にした中年の女性が出てきた。私たちを見て、「天狗さんに来られたのですか?」と問う。そうですと言うと、「天狗の大将、亡くなられましてね」。
このときほど太巻が惜しいと思ったことはない。寿司職人の大将がどのような方だったのかもわからず、松浦さんの顔が浮かんだ。
 
 昭和18年生まれの松浦さんは長年貿易会社の営業部に所属し、朝からステーキを食べ、一日にコーヒーを10〜15杯くらい飲む生活を続け、心臓病にかかり手術、その後リタイヤし、身体に負担のかからない投資で生計を立てておられた。すみずみまで細やかな気配りをし、それを人に感じさせない穏やかな方だった。懐かしさでいっぱいである。
 
 
         昔のお初天神


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