2023年5月1日    ひさご寿し 京都高島屋B1F
 
 昭和60年代、気分転換は京都だった。四条河原町から円山公園まで歩いて長楽館でコーヒーを飲んだり、昼めしを食べるだけなのだが、それだけで満たされた。
伴侶が京都高島屋でウィンドウショッピングをしているあいだどう時間をつぶしていたのかおぼえていない。四条通沿いにあった老夫婦のドリップコーヒー専門店が店じまいし、たまに高島屋喫茶室「ばらの木」でコーヒーを飲んだ。老夫婦の淹れるステキなコーヒーとは比べものにならなかった。
 
 平成のはじめごろ、顔見世の前売り券は南座へ行って買っていた。当時、南座での歌舞伎は顔見世のほかに5月か9月の花形歌舞伎しかやっておらず、電話予約後、数日以内に南座へ行って買わねばキャンセルされた。前売り購入日の昼めしは高島屋B1Fの「蓬莱」というカウンターだけの中華料理店。味は一流、値段は三流。
 
 阪神大震災に見舞われた年の4月、前売りを買いに行った日、13時を過ぎれば空いている蓬莱は思いのほか順番待ちの行列。デパ地下に適当な食べ物屋はなく、蓬莱のほかには江戸前の「ひさご寿し」。江戸前は好きではなかったが、空腹なのと地上で探すのも面倒なので思い切って入ることにした。
 
 のれんをくぐると左側のカウンターから店主らしき職人が小生をにらんだ。それがなんとスマイリー小原そっくりだった。「シャボン玉ホリディ」や「ザ・ヒットパレード」で自前の楽団「スマイリー小原とスカイライナーズ」を率いた踊る指揮者。バタ臭い容貌で踊りながら指揮する。
 
 ランチタイムのサービスランチはにぎり寿司9巻入って980円だったと思う。ちょっとしかないテーブル席は近場から来たと思える老人で満席。カウンンターの空きは一席。江戸前と銘打っているがそうではなく、関西ふうのすしめし、ネタも格別うまかった。スマイリーは「どうだ」という顔で小生を見た。話をしたら「連れてって」と伴侶が言う。特に用もないのに、彼が目的で翌週京都へ行った。
 
 アトピー性皮膚炎が重症化した伴侶は断食道場で暮らし、特殊な食療法を3年以上続けていたが、阪神大震災で九死に一生を得て完全に開き直る。豆腐に黒胡麻ペ−スト、青汁だけの食事に別れを告げた。いつ死ぬかわからない、脂濃いものや糖分の多いものは避けるとして、食べたいものを食べよう。
 
 のれんをくぐるとスマイリーは、「来たな」という顔をした。テーブル席に空きがあり無言の会話。
1995年春〜秋の京都。三度目からスマイリーは知らん顔をした。性格かもしれないが愛嬌はなく、職人魂のかたまり。五度目か六度目、彼が常連らしき老人と会話し笑顔を見せ、スマイリーも笑うことがあるとわかった。笑うと濃い顔が余計に濃くなった。
 
 1989年夏以来取りやめていたヨーロッパ旅行再開のタイミングを伴侶の症状をみながらはかっていた。96年9月末、プラハ起点でウィーン、ザルツブルクなど18日間の旅に出た。伴侶はみるみるうちに元気になっていった。
 
 帰国して秋も深まった日、京都へ行った。スマイリーの姿はなく、寿司の味が落ちていた。利益優先の店の方針に逆らってやめたのか、やめたから味が落ちたのか。それから「ひさご寿し」へは行っていない。踊る指揮者は特段思い出さないけれど、職人スマイリーは懐かしい。
 
      
                     スマイリー小原


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