2020年1月29日    出雲そば
 
 米子の伯父伯母夫婦は結婚して長く米子市商店街近くに住んでいたが、大正8年(1919)生まれの伯父は昭和50年(1975)55歳のとき伯母(母の実姉)とともに道東の紋別へ管理人として赴任した。
伯母は伯父より4歳年上。伯父は戦前から戦中にかけて外国航路で北米、中南米を転々としていた。貿易商の秘書(本人は鞄持ちと言っていた)をしていたのである。
 
 伯父のクチから中米ホンジュラスとかコスタリカが飛び出したのは私が紋別滞在中の昭和50年代終わりごろだった。北米航路は戦中は廃止もしくは休業しており、中南米航路も客船の多くは商船にすりかわり、伯父一行は商用船で巡行したらしく、時に貨物船に乗ってカリブ海を渡ったときは海賊に襲われる危険もあったという。
 
 「よく生きていたね」と言ったら、「戦争か鞄持ちか、陸か海か、死ぬ場所も死に方も選べないのは誰しも一緒じゃけえ」と言った。親同士の約束で幼いころ山陰の名家の養女となった伯母は養父母の決めた相手と縁組したが離婚。伯父も再婚ゆえバツイチ同士だ。
 
 伯母は伯父のために午前午後の1日2回抹茶をたて、自分はどちらかの1回つきあっていた。抹茶を飲む習慣のない私に「飲まないかい?」とすすめてくれたけれど、素っ気ない私のかわりに伴侶が飲み、以来、伴侶がいればすすめ、伴侶もきげんよくつきあっていた。
 
 和菓子が話題に上がると「不昧公」(松江藩主松平治郷)の話になった。鳥取県西端に位置する米子市と島根県松江市は近い。伯母の養家は出雲大社の国造と顔なじみらしく、出雲大社参詣のおり、ふつうはみることのできない場所を見学した。
伯父も慣れたもので、禰宜が恭しく迎えにきても鷹揚にうなずき、みなを先に歩かせる。一種の顔パス。
 
 伊勢神宮は外宮と内宮にわかれており、伊勢を省いて単にゲグウ、ナイクウと呼ぶのだろう。出雲大社はタイシャである。小学校の教科書に出てくる国造はクニノミヤツコと読み、タイシャの国造はコクゾウ、伯父夫婦はコクゾウさんと呼んでいた。
 
 伯父夫婦は9年間紋別の管理人をつとめ、昭和59年5月末米子にもどった。紋別滞在中、道東で地震があり、伯父は伯母を置き去りにして窓から飛び降りたそうだ。地震の話になると伯母はそれをクチにした。
米子にもどった後は歌舞伎好きというか、先代市川猿之助贔屓の伯母はことあるごとに京阪神へ来たが、芝居見物の日は落語好きの伯父と別行動だった。
伯母は劇場で幕の内弁当を、伯父は寄席がはねたあと道頓堀の蕎麦屋が定番。「おじさん、関西のそばはまずいでしょう」と言っても、「いや、あそこはマシじゃけえ」と言う。伯父はへそ曲がりでもあった。
 
 関西滞在のおり、レンガ積みに目のない夫婦から巻き上げるのはお門違いもいいところであるけれど、手を抜いて遊ぶと失礼ということもあり、伯父伯母は小遣いを置いていってくれた。
母の家で夕食後たまにつきあうのが恒例なので、半荘2回終わったところでコーヒーを淹れるため階下へ降りた。2階に上がる階段で伯父が降りてきた。「おじさん、トイレは上にもあるよ」と言うと、「メガネをとりに行くけえ」と言う。「かけてるじゃない」と言っても降りていき、「おう、いまメガネかけただがや」と階下でUターンして言った。
 
 熱いコーヒーを4人分運んできた人が、「濃いめがいいなら、インスタント足してください。お砂糖はこれです」と言う。レンガに没頭している伯父は、スプーン山盛りのインスタントコーヒーをカップに入れる。
「おじさん、それ砂糖じゃないよ」。一瞬たじろぐふうを見せたが、「濃いがいいのじゃ」とこたえる。ヤケクソ気味にかきまぜるものだから濃褐色になって、見るからにまずそう。
 
 父の墓はJR鳥取駅から徒歩12分ほどの寺にあるのだが、墓参りのさいは米子まで足をのばす。県東端の鳥取市と西端の米子市は国道9号線で結ばれ、いたるところに日本海が見える。国道はところどころでカーブし、真横、斜め下、正面と海は移動する。同乗者だけでなくドライバーも楽しめるのだ。
 
 伯父伯母夫婦は地元の名産品を送ってくれ、20世紀(梨)を好まない私は干しがれい、出雲の生そばが届くのを待ちわびた。出雲そばは実と甘皮も一緒に挽き、色は濃いが味は濃くなく、独特の風味とそばの存在感がある。
茹で時間も麺つゆも自分で調整できる。送ってくれたのは「たまき」の出雲そばである。さまざまな種類はあっても、出雲なまそば(2人前)が一番。生そばだから賞味期限は製造日から6日なのが痛い。
 
 伯母が平成12年(2000)旅立ち、伯父も平成17年に旅立った。気が抜けてしまい、そばもほとんど食べなくなった。買うのは日持ちする戸隠そばだ。ほかに較べればまあまあだが、出雲そばには叶わない。米子弁をふりまわし笑わせてくれた楽しい日々。古き良き時代。
 


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