2019年9月9日    銀座アスター 梅田&銀座
 
 1980年代半ば(昭和60年前後)、多忙な日々をおくっていた。所用のため大阪市内の各所へ行くにはいったん梅田へ出て地下鉄に乗り換える。用をすませるとふたたび梅田へもどると午後1時を過ぎる。
その日は西梅田で別の用を終えるころ、時計は午後2時をすこしまわっていた。近くを見わたしてもこれといったレストランは見当たらず、「ホテル阪神」(「旧ホテル阪神」は梅田2丁目=西梅田)に入った。
 
 それまでも何度となく近くを通ったが、ホテル阪神に入るのは初めて。たぶんロクな食べものはないだろうと思いながらも、10分かけて阪急「梅田駅」近辺まで歩く気分にならなかった。
ホテル阪神の1Fエントランスを入って右手奥に「銀座アスター」という名のレストランがあり、中国料理らしい。店内壁面に沿って多種の観葉植物が置かれ、一瞬シンガポールのホテルの料理店にまぎれこんだような気がした。ホテル阪神はビジネスホテルなので意外感も強かったのだ。
 
 当時は毎月のように香港へ行っており、極上の中華料理は香港にありと広東料理を食べていた。日本で夕食に中華料理を食べることはなく、ときおりランチに麺類を食べるだけ。
 
 汁そばは麺とダシの味に左右され、特にダシがよくないと(北海道産乾燥貝柱が決めて)おいしくない。道産乾燥貝柱は香港でも貴重品。日本で道産乾燥貝柱をふんだんに使い、料金も手頃な料理店は少ない。
根っからのラーメン好きではないし、汁そばより焼きそばのほうが無難。銀座アスターでも「牛肉とセロリの細切り焼そば」というのを注文した。
 
 そばは揚げそばなのだが、あまりかたくないというか、フライ麺っぽくないのがよく、麺と具のバランスもちょうどよかった。麺の量が少なすぎるとべちゃべちゃと食感がわるくなり、多すぎると手に余る。
具は牛肉よりセロリのほうがほんの少し多く、したがってしゃきしゃき感がある。食感は大切。具の味は、こってりせず、品のいい醤油と香料の調合がほどよい加減でコクもあり、かすかに乾燥貝柱の味もした。以来、年に数回梅田の「銀座アスター」でランチに「牛肉とセロリの細切り焼そば」を食べるようになった。
 
 1987年のある日、銀座一丁目にオープンした「ホテル西洋銀座」でたまたま宿泊し、チェックインしたのが午後1時過ぎ。面倒だからホテル内のイタリア料理店でパスタを食べた。これがまあ、高い料金をとって、よくこんなものを出すと唖然。イタリー亭へ行けばよかったと思ったけれど後の祭り。
 
 まずいランチをすませ銀座四丁目に向かって歩き出した途端、地下鉄・銀座一丁目駅付近で「銀座アスター」の看板が目に入った。あしたのランチはここにしようと気を取り直し、翌日食べに行く。店に入り、階段を上がって2階へ。昼時というのに客はほとんどいない。
味は梅田店ほどではなかったが、まずまず。結局その後、梅田と銀座で時々焼そばを食べることになり、ほかのものは食べなかった。焼そば以外の料理はたいしたことはないと思えたからだ。
 
 1999年4月、ビジネスホテル「ホテル阪神」は場所を移動し新築オープンし、こんにちに至っている。「銀座アスター」はホテルに移動せず大阪での営業を停止した。セゾングループの総帥・堤清二が、古き良き時代の香港ペニンシュラホテルの客室を摸した「ホテル西洋銀座」は、紆余曲折をへて2013年5月に閉鎖された。
 
 かつてバブルと呼ばれた奇怪な時代があったが、奇怪でなかったこともある。金回りの良い時代は料理人の腕も上達する。おいしいものを出せば食べにくる客が大勢いた。21世紀に入って、稚拙な腕しか持たない料理人が、拙劣な舌を持つ得体の知れない者に評価され、クチコミというかたちで広められた。
 
 子どものころファミリーレストランでならされた舌を信じる自信家が輩出し、まずいものをおいしいと言う。そういう極端なことではないとして、バター、オリーブオイルなどを多めに使う料理の味は判っても、あっさりめの上品な味を見極める判別能力が低下した。落ちたのは料理人の腕だけではない、客の舌も落ちたのである。
 
 数年前、梅田「阪急百貨店」の入っているビルに「銀座アスター」が入ったと知って食べに行った。「牛肉とセロリの細切り焼きそば」である。
伊勢谷友介似のマネージャーの接客はすばらしかったのだが、東京のどこやら支店から派遣されたという料理人の腕がよくない。セロリほかの具は加熱すぎでぐちゃぐちゃ、味つけもでたらめ、さらに汁気が多すぎて、20世紀は遠のいたという実感がひしひしと湧いてきた。

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