2019年7月8日    下々味亭 奈良
 
 奈良博物館から登大路(近鉄奈良駅の東から二条通は登大路となる)。を北へわたると日吉館があった。日吉館のすぐ西に築百年くらいの古民家があり、そこでみそ汁つきの日替わり定食を出していたのが「下々味亭」(かがみてい)である。東大寺、興福寺、春日大社へは至近距離、しかし学生より営業者のドライバーの利用が多かったと記憶している。
 
 合宿先を奈良と定めても、日中は県内や京都の古寺拝観へ向かっている。あるいは京都市内の卓囲み店にいる。朝に出て夕方にもどるので、日吉館近辺の食堂に入ることはない。近辺に食堂もなかった。
東大寺や興福寺の仏像はいつでもみることができるとか、法華堂や戒壇院の仏像を愛してやまない人は別として、近場の見学を避けて遠くへ向かう。
 
 昔なつかしい障子戸(上半分が障子の引き戸)を左に引くと、向かって右側にカマド、左側に座敷。靴をぬいで座敷に上がる。ちゃぶ台が幾つか置かれているだけのちいさな定食屋。初めて入ったのは昭和46年(1971)春、そのころ交流のあった古美研彫刻班所属の女性に、「お昼ここで食べない?」と誘われた。
 
 下々味亭の戸口近くに立っていたが、昼食を提供する場所にはみえず、古ぼけた仕舞屋(しもたや)かと思った。障子紙をつかった木戸の横に板がかかっていた。字がちいさすぎて、目をこらしても何と読むのかわからない。「カガミテイって読むの。来たことないでしょ」と言い、「あたしが持つよ」とつづけた。
 
 その日の定食は「だし巻きタマゴ+おろし大根」、「具だくさんのみそ汁」。みそは新鮮、だし巻きはふっくら、こぶりの丼ご飯の米は立ち、そのころ始まったハウス栽培のキウリとナスの浅漬けのつかりぐあいがよく、醤油も旨クチ、申し分のない昼食だった。
満足気な私の顔を見て「どぉ」と聞いた。どうこたえたかおぼえていない。奈良公園の近くは日が暮れる前に寂しくなる。下々味亭も夕刻、閉店した。
 
 2度目は7年か8年後、1970年代終わりごろの秋。ご飯もみそ汁もお新香も変わらぬ美味。大ぶりの焼サンマは脂がのり、おろし大根添え。小鉢のおからはさらっとして上品な味つけ。誰と行ったのか、独身時代の伴侶なのか、2度目の記憶が怪しい。「醤油、おいしい」と言ったのは誰?初めて下々味亭へ行ったとき私がつぶやいたのだろうか。
 
 下々味亭のおからは従姉のおからと同じくらいおいしく、母方の17歳年上の従姉は、当人は思っていなかったようだが料理の腕はピカいち、昭和30年前後につくってくれたアイスクリーム以来、忘れたころに何かをつくっていた。
当時のアイスクリームはさっぱり味が多く、従姉のアイスは濃厚でおいしかった。氷屋に氷を配達させ、氷をかち割り、タマゴと牛乳ほかをとろとろになるまでまぜ、アルマイトの器ごと氷入りの大鍋にセットし、氷に塩をふって勢いよくかきまぜる。
 
 氷をこまかく砕くと、かきまぜているあいだに融けやすく、大きめにかち割ることが肝心。アイス用の器はプラスチックでなくアルマイト。伝導率、冷却度がちがう。しかしアイスはなかなか凍ってくれない。従姉の額から汗が吹き出た。
後年、米国某メーカーのアイスクリームを食べて従姉のアイスの味がよみがえった。濃厚だと感じたアイスはあたりまえの味になっている。シャーベットに挑戦したとつくってくれたこともあるけれど、最初が鮮烈だったせいか味を思い出せない。
 
 イワシのフライひとつにしても、ほかの人よりカラッとあがり、酢豚、炊込みご飯の味は当然、ばら寿司の酢の合わせかた、ほどよく、こざっぱりした味つけも心得、調理が手早い。勘がいいようにみえないのに勘がはたらいた。しかし本人は怠け者を自認しており、豆に動く反面、忙しさを嫌った。私は料理の腕はともかく、そういうところ(豆に動く怠け者)が似ている。
 
 下々味亭はご夫婦が切り盛りし、奥さんの姿形は思い出せないが、ご主人は白の作務衣を着て、顔の彫りが深く、時代劇に出てくる、それも江戸期ではなく、鎌倉室町期を思わせる質実な風貌だった。
味の決め手は厨房と火加減、ダシなど。高価なダシ昆布を使わなくても、使い方でいい味をだせる。醤油と酒をけちるのはよくない。老舗のそれなりのものを用意すればいい。下々味亭にはそうした配慮があったと思う。
 
 2度目は定食のほかにコーヒーを注文した。簡素な白の器に挽きたて豆を使った淹れたてのコーヒー。連れが誰だったか、顔は浮かんでこないのに、彼女がアイスクリームと言ったことや、うまそうに食べていた記憶は残っている。
 
 京の町家もわるくないが、奈良の古民家は郷愁をさそわれ癒やされる。それから何年たったろう、3度目の下々味亭はなかった。いつのまにか2階建てとなり、1階が古美術店、2階が軽食喫茶店となっていた。いまはない昔日の昼定食。
 
 最高のダシは思い出。深夜の静謐より日中の喧噪を追い求めるように先を追い求め、思い出の味を知らない人は至極の味を知らない。美化、奇妙な響き。追体験が時に美化を伴うなら、美化も捨てたものではない。
 

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