2019年7月2日    菊水楼 奈良
 
 菊水楼の創業・明治24年は128年前だ。平城京1300年の歴史と較べれば真新しい。1980年代初め円成寺や浄瑠璃寺を拝観し、昼食は奈良市内という場合、適当なレストランは奈良ホテル以外に見当たらず、そのころ奈良ホテルのランチは洋食しかなかった。まだ「下々味亭」はあったかもしれず、若年層だけなら「下々味亭」の日替わり定食や、奈良ホテルのカレーライスでかまわないけれど、中高年主体となればそういうわけにもいかない。
 
 ちょうどそのころ菊水楼別館が昼の和定食をはじめた。内容、量ともに過不足なく、料金も手頃、ランチに適していた。夏の定番は魚麺。冷麦よりやや太く、しかし冷麦と同じような三色(白、ピンク、緑)の麺は口当たりと食感がよく、麺つゆのダシも老舗らしい上品な味で、とっかえひっかえやって来る夏の客を案内してはランチを食べた。
 
 1990年代後半は伴侶と東大寺法華堂や戒壇院の諸仏、興福寺の阿修羅などと対面するとき、夕食は菊水楼別館と決まっていたので、まず駐車場に車を駐め、先に拝観をすませ懐石料理を味わうのが四季の行事だった。
別館を入ってすぐ右の喫茶スペースで飲むコーヒーは、客の顔を見て淹れる挽きたての豆のブレンドぐあいがよく、濃くはない私たち好み。平日のおそい午後はガラ空き。
 
 郡山方面や明日香村へ行ったあとも菊水楼で夕食をとった。奈良市内=京都間は車で1時間で行けるが、奈良南部から京都市内へは2時間以上かかり、渋滞に巻き込まれれば2時間半〜3時間。奈良ホテルのレストランもわるくはない、が、菊水楼に一日の長がある。
21世紀になって奈良行きの回数は徐々に減ったが、それでも12月16日のみ一般公開される執金剛神をみにいったり、法華堂、興福寺の仏像を拝みにいった。
 
 学生時代の仲間と菊水楼を利用したのは2007年秋、前日、甘樫丘にのぼり大和三山を眺め、稲刈りを終えた畑のあぜ道を通って飛鳥寺まで歩いた日の翌日お昼。午前中、法隆寺を見学して再び奈良市内へもどったときだった。
女性3人、男性2人の5名は学生時代、古美術研究会庭園班の先輩と後輩。2005年10月、30数年ぶりに再会したのは16名。関西在住の或る後輩女性が言い出しっぺで、少人数の合宿っぽい集いとなった。スタート時は女性3人、男性3人。女性の1人が途中で入れ替わった。
 
 それがきっかけとなってちいさな合宿は男のみの合宿となって足かけ13年続いた。古き良き時代は帰らない。21世紀に入ってレストランも人間もつまらなくなった。しかし、言い出しっぺの女性だけは古き良き時代の面影を残していた。現在のようになったのは、彼女の勇み足が出すぎて難解な事態を招いてしまったからだ。
 
 菊水楼に行かなくなって何年たったろう。1980年〜1990年代は花のある時代だったのかもしれない。甘樫丘、飛鳥寺へは12年行っていない。
 
 
    飛鳥寺前  
     小学生の女の子3人が門から出てきた。記念写真撮影のような感じになったのは、女の子たちが撮影者を見て立ち止まったからです。


前のページ 目次 次のページ