2019年6月17日    ラ・ロトンド チューリッヒ
 
 初めてヨーロッパを旅したのは1969年夏だった。以来やみつきになって何度も行った。熟成には時間がかかると自分に言い聞かせ、ヨーロッパ豪華旅行に出たのは20年の歳月をへた1989年7月初旬だった。
 
 それまでとはちがう旅行を思い立ったのは香港発券のフライトクーポンに因る。1980年代は頻繁に香港へ行き、航空券は日本航空香港支店で普通料金のオープンチケットを買っていた。
普通運賃なら日本航空が運休したり、アクシデントに遭遇しても他社便へエンドース(裏書き=便の振り替え)できるからだ。運賃は航空会社によって若干の差違はある(後述)が、香港=大阪(東京)の運賃はキャセイ航空と同じ。
 
 香港ドルの交換レートは16〜18円を推移し、香港=大阪=東京=大阪=香港の1年間有効フライトクーポンはファーストクラスが約9万円で買えた。香港大阪往復、香港東京往復は同一料金。
日本で買えば香港=大阪(または東京)単純往復が38万円ほど。香港東京の途上、大阪でストップオーバー(途中降機)を2回おこなうというかたちを取る。京阪神在住の私は大阪東京往復(スーパーシ−ト)を無料で利用した。
 
 香港=東京=大阪=東京=大阪=香港という発券は東京大阪の順路が逆になるので東京大阪往復は別料金がかかる。
 
 欧州線の航路も大阪出発。フライト・クーポンは香港発だが、香港=大阪=ヨーロッパの複数都市を経由=大阪=香港というフライト・クーポン。座席クラスはファースト、ビジネスを適宜おりまぜて好きなように組む。
それでも約23〜27万円、エールフランス香港支店で購入した。1989年7月の旅は大阪=パリ=ニース=パリをエールフランス、パリ=フランクフルトをルフトハンザ、チューリッヒ=ミラノをスイス航空、ミラノからはアリタリアを利用した。
 
 航空運賃は国、地域によって設定が決まっておらず、当時の日本では半官半民の日本航空が運賃設定を牛耳っており、唖然とするほど高く、ヨーロッパ諸都市で買う運賃の2倍はした。為替レート以前の問題である。
欧州線のフライトクーポンはビジネスクラス72万円。夫婦割引利用で2枚買っても1人分が59万8千円。香港発なら20万円である。企業利用が多い、どうせ経費で落とすからとタカをくくる。苛烈競争社会のロンドン、パリなどでは日本航空も安い料金設定をしている。バカ高い運賃を払っていたのは日本企業だけだ。
 
 当時JTB主催のビジネスクラス利用「欧州の旅14日間」が130万円(2名参加の1名分)、ファーストクラス利用が200万円くらいだった。私はJTBより豪華な老舗名門ホテルに泊まる18日間の旅を約63万円(伴侶と2名分126万円)で実施。食事・レンタカーほかの経費込み。ホテル料金は5万円なら2分の1の2万5千円で算出。食事は1名で算出。
 
 南仏コートダジュールを起点に目的地(終点)がミラノ。陸路はレンタカーを利用し、大都市ではレンタカーを利用せず徒歩観光。チューリッヒでレンタカーを返却し、眼下にチューリッヒの町と湖を見おろす絶好のロケーションに立つドルダーグランド・ホテルにチェックインしたのは午後1時ごろだった。1899年創業でロマネスク様式の尖塔を3つ備えているのがユニーク。
 
 まずは腹ごしらえということでホテル内のレストラン「ラ・ロトンド」でセットメニューのランチをとることにした。これが大正解で、26、5フラン(スイスフラン=1フランは80円)、約2100円は絢爛豪華な内装・雰囲気と不釣り合いの安さ。本日の前菜またはスープ(各種)、肉または本日の魚介料理(ムニエル)サラダ付き、本日のデザート。
給仕の表情、物腰、ランチ各品の味も申し分なく、食べ終わって夕食の予約も入れた。ランチを食し腹一杯、はちきれんばかりの胴になったのが下の画像。外から見たレストランが写っている。
 
 約6万坪の敷地に複数の散歩コースがあり、ハイキングでもしないと腹がひっこまないので、町歩きの前に90分ほど敷地内を散策。歩いているのはわれわれだけだった。その後ホテル専用のドルダー鉄道(都電ふう電車)に乗り、勾配のきつい坂を町へ下る。鬱蒼とした林を抜け、途中駅もある本格鉄道。
 
 夕食はアラカルト。料理の内容も、赤か白か、夏だからロゼか、ワインの色もおぼえていないのは、食事が進むにつれて酔いが回り、デザートのころにはへべれけになっていたから。
酔うとサービス精神が旺盛になる私、客が全員いなくなった午後11時前、美男でがっしりした給仕長と役人ふうの若い給仕を相手に、以前素人劇でやった三銃士もどきのアラミスのセリフと振り付けを、カサノヴァの亜流であると説明しながら芝居した。
 
 よせばいいのに給仕長、厨房にいる料理人数名を呼び大乗り。カサノヴァ談議もはじまってワヤクチャ。解放されたのは午前零時。酔いも吹き飛び、しかし思い出せないのは隣に座っていた伴侶の顔。翌日の朝食はルームサービスにしました。
 
           ※当時は美食で太り気味。「ラ・ロトンド」はその後「ザ・レストラン」というつまらない名に改名されました※


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