2019年5月13日    桂林  エディンバラ

         10月上旬のエディンバラ。空気はひんやりしている。夕方になると気温は急に下がり、夜は寒い。
 
 ヨーロッパ諸国で中華料理がおいしいのはフランスやイタリアではなく英国。フランスは中華よりベトナム料理。香港、シンガポールの中華料理店(主に広東料理)を15年あまり食べ歩き、比較するのもなんだが比較すると、おおむね遜色なしといえる中華レストランは英国にある。
シンガポールも香港もかつては大英帝国の植民地もしくは租借地だった。腕のいい料理人が、オーバーシーズ・チャイニーズとして清国や中華民国、中華人民共和国から英国都市部に移住したのは難を逃れるためであったろう。
 
 英国ほかヨーロッパ諸国にわたってきた華僑料理人のなかには腕のよくない者も大勢いた。その子孫の料理に創意工夫があればまだしも、怠惰が上達を阻む。あるいは町に中華料理店は一軒という場合、没落を免れることもあるだろう。
1990年代イングランド中西部の町チェスターにはテイクアウト専門店のほかに一軒だけで、食べられるものではなかった。東洋系女性給仕のわざとらしい作り笑いが目立つようなレストランにロクなものはない。
 
 その点、ダラム(北イングランド)旧市街の目抜き通り(坂道。終日歩行者天国)にあった中華料理店はよかった。1階はふつうの商店、2階が中華。到着当夜、何を食べるか予定に入っておらず、夕食時(午後8時ごろは明るい)たまたま見かけた。
それほど広くない店内はほぼ満杯。空いていた一席は予約席だと給仕が言う。そこへ来たのが東洋系女性マネージャー。広東語で給仕に何やら言って、「どうぞお座りください」と椅子を引いた。
 
 余計なことは一切言わない。きりっとした面立ち、スタイル抜群、40歳前後と思われるマネージャーは微笑みながら「9時半の予約です、問題ありません。お客さまが時間を取られても、早い夕食が数席あるので、あと1時間もすれば空きがでるでしょう」。機転の利くマネージャーのいる料理店は味もいい。予想どおり美味だった。
窓の外を見るとドレスアップした若い女性が数グループ、群れをなして歩いている。日中、ウィア川でボート訓練していたダラム大学の女子学生も混じっている。明るい笑顔と躍動感に満ちた容姿でダラムの夜は華やぎはじめた。
 
 歩行者天国は英語で「Pedestrian Zone」。ネット検索に記された「Pedestrian Heaven」とか「Pedestrian Paradise」とかを使っても英国人には??、ちんぷんかんぷん、日本語直訳は通じないので注意。
 
 レンタカーでダラムを発ちエディンバラに着いたのは99年6月下旬。当夜、あらかじめ予約していた「Kweilin」(英国人は漢字を読めないので表示はKweilin)まで宿から13〜14分歩く。途中で街灯が少なくなり、都市部なのに旅路の感慨が夜と共に深まってゆく。南ウェールズのカーディフを起点とした英国3週間の旅があと数日で終わろうとしていた。
 
 はたして桂林の広東料理はおいしかった。ヨーロッパ諸国の町々で食したなかで最高峰といっても過言ではなかった。どこかで書いたように、私たちはトリとかウシなどの肉料理を避けたい。カモは特に。それゆえ海鮮類と野菜を注文する。
桂林でも貝柱や車エビなどと野菜のいためものをたのんだ。ポテトを細切りにしてつくった器に具が入っていた。薄味なのに、しっかりした味付けは香港の広東料理さながら。
 
 滞在3日目の夜、ふたたび桂林へ行った。味にも道中の夜の薄暗さにも魅せられた。ひとつだけ前々夜と同じものを注文した。あらためて申し上げるまでもないだろう。
 
 ことはそれで終わらない。同年10月1日スコットランドを再訪した私たちは、南西フランスへの移動日前エディンバラで2泊し、1日目の夕食を桂林でとった。3ヶ月半前と変らぬ味。6月、接客してくれた小柄で愛嬌のある東洋系男性マネージャーは私たちをおぼえていた。6月下旬の夜もうすら寒かったけれど、10月11日の夜は凍えるような気がした。しかしまだ若かった。
 
 世界の首都のなかでエディンバラ(スコットランドの首都)は忘れられない町だ。旧市街の古色蒼然としたたたずまい、主たる通りの親しみやすさ、都会にしては澄んだ空気。
オーバーシーズ・チャイニーズと本国の中国人と基本的に異なるのは、ことばの通じない町を訪ね、住みつくまでさすらい、ようやく居を定めた場所で苦労し、異国の住民とどうにか調和をはかった先祖が過去にいるということである、サンフランシスコやロンドンのようなチャイナタウンは存在しない。
 
 10月の清々しい空。夜の深淵。思い出は尽きない。
 

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