2019年5月5日    アードシール・ハウス
 
 1999年10月1日、シャルルドゴール経由エディンバラ行の便で同日の夜到着、エディンバラ郊外で1泊した私たちは、朝食後レンタカーでストーンヘイヴンに向かった。ダノッター城を見学、その日はバンコリー(Banchory=ハイランドの小さな町 人口約7500人)に泊まり、翌朝ロイヤル・ディーサイドに沿って快適なドライブをつづけ、ピトロッホリーで2泊した。
 
 翌日グレン・コーをゆっくり見学し向かったのがケンタレンのB&DB「アードシール・ハウス」(Ardsheal House)である。
アードシール・ハウスの名は1996年10月のヨーロッパ線機内で英国だったか米国だったかの旅行誌をみて知り、そのような交通の便のよくない場所(鉄道駅フォートウィリアムの南西25キロ)は車で行くしかないと思った。
 
 ハイランドにあるアードシール・ハウスは19世紀末、香港提督として赴任したジェームズ・スチュワート・ロックハート卿の生家で、しかも卿が香港の私邸をアードシール・ハウスと命名したのがその由来らしい。敷地面積は98万坪。
96年秋のプラハ、ザルツブルク、そしてリスボンはすばらしかった。伴侶にとって強力なカンフル剤ともなり、浮世のことなどすっかり忘れ、機内の旅行誌もアタマから消えた。
 
 1999年7月下旬、スコットランド旅行のプランを練っていたとき記憶がよみがえった。グレン・コー観光のさいフォートウィリアムに泊まるのは避けたいし、自分好みの宿もない。そこで思い出したのがアードシール・ハウスである。
 
 フォートウィリアムからA82を南西に進み、A828に出てさらに行くと、リニ湖(Loch Linnhe=ロッホ・リニ)沿いにアードシール・ハウスの案内板が立っている。そこからがアードシールの私有地。
進行方向右にリニ湖が見える湿地帯を延々と走り、伴侶に「まだ着かない」とつぶやきつつ、やっと開放的で整った公園のような場所が見えた。北ウェールズの「マイズ・イ・ニューアス」(Maes=Y=Neuadd)でも車窓に届く毛足の長い雑草が延々とつづく狭い私道を走ったが、距離は問題にならないほどアードシールのほうが長い。
 
 アードシール・ハウスの室数は6。英国では小規模B&Bなら2室、カーライルのB&B「ナンバー31」は3室(ブルー、イエロー、グリーン・ルーム)。コーンウォールのマラザイアン(Marazion)に隣接するペラヌスノー村(Perranuthnoe)にあるB&Bエドノビーン・ファームもブルー、イエロー。アプリコットの3室。 6室はまだ多いほうである。
 
 アードシール・ハウス経営者夫妻の夫君ニール氏は私と同年配、奥方フィリッパさんは伴侶と同世代。ニール氏はスコットランドの伝統的衣装キルトを身につけ、物腰やわらかで温厚、明るく、フィリッパさんはひとことでいうと魅力的な方だ。
 
 百年戦争(1337−1453)勃発の要因は、フランス王シャルル4世が亡くなった後の王位継承権をめぐるフランスとイングランドの対立である。王位継承を主張したエドワード3世(1312−1377)最愛の王妃が1369年に亡くなる。王妃の名はフィリッパ(1314−1369)。フィリッパは女性初のガーター勲章(ガーター騎士団勲章=騎士団最高位の勲章)受賞者。
 
 B&DBは文字通りB&Bに夕食(Dinner)付き。このあたりは日中も人影なく、人家のある場所まで車を走らせても20分か25分かかり、パブがあるかどうかもわからない。夜は漆黒の闇である。旅行計画中、辺鄙すぎて調べる気にもならず、到着後ニール氏に尋ねる気持ちもわいてこなかった。
駐車場にはドイツナンバーのポルシェや、国籍不明のスポーツカーが数台あり、ニール氏が、毎年フランクフルトからやって来るカップルがいますと言った。付近の茫漠たる、しかしどこかしら懐かしいは風景は、とげとげしいトウヒの多いドイツとは異なる。
 
 旅先で宿のオーナーと共に写真を撮るというようなことは避けてきた。そういう意味では稀少な一枚だ。それはさておき、なぜアードシール・ハウスに泊まり客が集まってくるのか。グレン・コーへレンタカーを使って行くならそう遠くはないし、いかにも遠くへ来たというロケーションが心に残る。2食付き2人分126ポンド(税サ込=1ポンド約170円)の料金も格安。
 
 人気の秘密は夜になればわかる。館内のレストランで食べる夕食が極めつけの美味なのだ。アルバイトらしき女性の給仕も優美でやわらかく、だが、てきぱきしている。フィリッパさんが挨拶に来る。
みな幸せそうな顔をしている。ミシュランの2つや3つの星をあてにしない舌の肥えた人間の表情はそういうものだろう。フィリッパさんが達人であるとしても、客室が50なら家庭料理のきわみともいうべき味を保てるだろうか。
 
 料理はシンプルなほうがいい。味付けにしても、ぐちゃぐちゃ、べちゃべちゃのXXソース、○○ジュレを多用するのは考えもの。ところがそういうものを料理に使うことをよしとする料理人が増えているし、喜ぶ客も多い。いつまでつづくのやら。
 
 英国のB&Bでおいしい料理(朝食だけでも)を食べたいと思うなら小さなB&Bである。英国でおいしいのは朝食だけだと言った者が昔いた。経験不足、先入観の徒。そういう人間は少なくなったけれど、インターネットほかの情報に振り回され、知識が徘徊する。20年間で料理人の腕も落ちたが、数は増えている。古き良き時代は帰らない。
 
        
         アードシール・ハウスのエントランス 右側二人がニール&フィリッパ夫妻


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