2019年5月3日    ブラセリー・デル・オペラ
 
 南西フランスのトゥールーズ(人口約45万人)はミディピレネーのカルカソンヌやロカマドゥール、コルド・シュル・シェルなどを鉄道で旅するときの起点、もしくは終点となる町。初めて訪ねたのは1999年10月半ば。
エアバス社の本社はここにあり、旧市街のキャピトール広場から放射線状の道が八方にめぐらされ、パリのような幅広の道路ではなく狭いのでなじみやすい。広場の面積は広く、目印になるので観光客が集まってくる。キャピトル広場の西へ徒歩数分の地点にガロンヌ川が流れ、黄昏の川面は美しいが夜は不気味だ。
 
 キャピトル広場から至近距離、狭い通りを隔てて立つホテル「グランド・オペラ」(Le Grand Hotel De L' Opera=仏語のリエゾン発音では末尾がデ・ロペラ)にはレストラン(Les Jardins de l’Opera)とブラセリー(小さなレストラン)があり、お手軽料金のブラセリーが「ブラセリー・デル・オペラ」(Brasserie De L' Opera)である。
 
 レストランとブラセリー両方で夕食をとった結果、エアバス社御用達、令和の上皇&上皇后が昭和の皇太子殿下&皇太子妃だったころ食事をされた豪華レストランの味はたいしたことはない。1999年のミシュラン星2つ。
星があてにならないことを証明するレストランはたくさんあり、そこもそのひとつである。おふたりが何を召し上がられたか詳細はわからないとして、料理によっては塩っぱかったはず。フランスにかぎったことではないけれど、ご当地ヨーロッパと私たちとでは塩加減の基準が異なる。
 
 それはさておき、ブラセリーの料理はおいしかった。値のはる高級レストランに較べると食器、テーブルクロス、内装など若干落としてはいても、清潔で見た目もよく、年老いたギャルソンの物腰も自然。イヴ・モンタンのようないい男ではないにせよ好感がもてた。ハウスワインと、子牛肉のソテーなら肉も靴のようにかたくないだろうと思って注文した。
 
 肉はやわらかく、予想以上にうまかった。デザートのヌガーアイス(Nougat Glace カラメルに何かを足したアイスクリーム・ケーキ)が絶品で、トゥールーズ滞在の楽しみになるほど美味。量も多く36フラン(約700円)は安い。子牛肉のソテーは1度しか食べておらず、値段も忘れたが70フラン(1400円)くらい。
 
 翌日ミディピレネーに向かい、秋のコルド、サルラなどを10日かけて満喫し、先々で低料金のおいしいものを食べ、重いスーツケースを預けていたトゥールーズの同じホテルにもどった。
夕食は令和上皇・上皇后が過ごされた例の高級レストランを予約していた。当夜、大広間はエアバスの社員貸切で、ガラス窓越しの中広間のテーブルに座った。窓越しにさんざめくすがたが見え、笑い声が洩れてきたが、声は気にならない程度だった。
 
 味はすでに記したように特に言及することはない。星なしブラセリーと比較すれば半分以下の味。しかし料金は4倍。皿とか壁紙が上等でも、皿も壁紙も食べられず、味は中等。皇太子殿下は宿舎もレストランも自分で選ぶことができない。
美智子さまとふたりきりになって、「それほどでもなかったね」とおっしゃったかどうか定かではありませんが、エアバス社の社員みたいにお喜びにはならなかったと思われます。
 
 それでも時代をこえて効果的であると思えるのは旅である。特に海外への旅。皇太子殿下も、900年前の平安時代末期でも、解放感に満たされ、場合によって旅は鬱屈を抜け出すカンフル剤となる。
20日とか28日の旅なら旅先の生活になじんでしまい、帰国するのがイヤになる。そういう旅をしてきた者のひとりとして思うのは、行けるうちに行くべきだということです。
 
 旅は、心の風景を発見するという楽しみと思い出す楽しみがある。思い出があざやかによみがえり、追懐にふけるひとときはないよりあるほうが、少ないより多いほうが人生をゆたかにするだろう。おもしろうございましたと思い出せる時を過ごし、いつの日か思い出せないほど痴呆が進み、あるいは意識朦朧として、はい、おさらば。
 
       
                   トゥールーズの「ブラセリー(Brasserie)・デル・オペラ」


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