2019年4月11日    オーベルジュ・ドゥ・ラ・シテ
 
 ミディピレネー・タルン県のコルド・シュル・シェル(「空の上のコルド」 以下コルドと表記)を初めて訪れたのは1999年10月13日だ。
コルド全体が中世そのもの、インフォメーション(観光案内所)から40分ほど歩いた地点の丘から眺めるコルドの景色は、みる者を魅了せずにはおかない。人口わずか950人程度の場所に、そしてまた知名度もそれほど高くないのに、フランスで最も早くライトアップされたという。
 
 丘への道順はインフォメーションで聞いた。下のやや広い道路まで降りると三叉路になっていて、インフォメーションで尋ねなかったら迷うこと疑いなし。数分行くと坂道は左に大きくカーブし、そこから右に曲がって再び左にカーブ。2階建ての建物(養老院)を通り過ぎると左手に急なのぼり道がある。人間2人が並行できないような狭い道。視界の開ける場所まで上れば目的地点だ。
 
 コルドの建築物全体のようすは望遠レンズを使用しないとわかりにくい。それが下の画像。肉視すれば広大な大地に積み木が置かれているかのようだ。どのくらいの時間ながめていただろう。
プランを自分で練った海外田舎旅は、ほかでは得られない解放感と、身体中の血液が新たに入れ替わって10歳くらい若返るような感覚に満たされる。特にノスタルジーにひたる旅は一気に子どものころに帰ってしまう。
 
 夜、古ぼけた街灯のほの暗い灯りが石畳を照らし、旅情はいやがおうでもかきたてられる。その暗さが昭和30年代を思い出させてくれる。コルドの宿とレストランは頂上に寄りそって立ち、お互い玄関までの距離はせいぜい十数メートル、徒歩数分だ。
レーモン7世通りの「オーベルジュ・ドゥ・ラ・シテ」はインフォメーションの女性と付近の雑貨屋がたまに食べにいくというレストラン。前もって調べた「グラン・エキュイエ」(レーモン7世の居館だった)はホテル自体がこの日から4月末まで長い休みに入り、ホテルのレストランも閉店。
 
 何がさいわいするかわからないもので、「グラン・エキュイエ」なら2倍以上の料金がかかるところを、簡素とはいえ美食の殿堂に出会えた。タルン県の小さな街や村でメニュー選びに迷ったら、まず「フォアグラの醤油照焼き」を試す。おおむね当たり外れなし。わずか100フラン(1フラン=20円)で、舌の上でとろけるような逸品を味わうこととなる。
 
 1990年代初め、鳥取県の「大山ロイヤルホテル」12階に米子市と弓ヶ浜を一望できるフランス料理レストランがあった。1980年代の好景気時代、証券会社グループが別荘用造成地を売り出し、料理しない人や宿泊需要のため和洋中華レストラン完備のホテルを開業した。
なかでもフランス料理店の雰囲気、食材と味のよさ、手頃な料金は県内外の評判も高かった。地方でもいるところにはいる、腕の確かな料理人が。都会の空気は汚れているし、素朴な人間も少ない。驕慢でよそよそしく、内実は自己憐憫と自己愛に汲々としている人間の群れる場所に誰が好きこのんで移住するものか。
 
 12階のフランス料理店はセットメニュー以外のアラカルトも豊富で、なかでもフォアグラ丼は絶品だった。丼ふう小ぶりの器に熱いご飯が盛られ、照焼きした醤油味のフォアグラが数切れ乗っている。以来、フォアグラの本場で醤油照焼きを食べたいと思っていた。
 
 ミディピレネーの旅で、これはと思うレストランにフォアグラのソイソース照焼きがメニューに載っているレストランは少なく、メニュー外で作ってくれるかを確かめても「あいにくですが」と言われた。
ミディピレネー滞在中フォアグラ醤油照焼きを食せたのはコルド、ロカマドゥール、サルラの3ヶ所だけだったが、最もおいしかったはコルドの「オーベルジュ・ドゥ・ラ・シテ」。大山ロイヤルホテルのフォアグラ丼と較べると、味付けに遜色はないとして、フォアグラのとろけるぐあいが勝っていた。食材も人間も極上は限られている。
 
 私たちの勘定は321フラン。当時パリ、東京などで一人3万円の高額フランス料理を食べているセレブには知らせたくないと思ったものだが、彼らが田舎へ行くはずもなく、料理人も都会へ行かず、あれから20年、コルドを旅する人は増えたが、バカのひとつ覚えのミシュラン信者は減りそうにない。
 


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