2019年3月21日    南国酒家 原宿
 
 2001年11月初旬、不思議なメールが飛び込んだ。3週間後の第4日曜(11月下旬)18時、原宿駅前の中華料理店で会合を開く。出席者は8名の予定であるが、全員が出席するかどうか不明。顔ぶれは、井川、井上、藤咲、堀岡、堀、桑島、水谷、満田。出欠に関しては当日3日前までに連絡のこと。
 
 メールの差出人は○○○○○。発起人は女性と記しているだけで、あとは空白。差出人は記憶をたぐりよせても思いあたらず、招集された者の知人かもしれないが、連絡先不明の井川、藤咲に連絡できたのならかなりの消息通といえる。なぜ8名なのか、単なる思いつきなのか。招集の意図は見当がつかなかった。
 
 8名のうち井川、井上、藤咲、堀、堀岡は同期。桑島、水谷、満田はその1年後輩の同期。共通点は古美術研究会なのだが、各人の所属した班は、井上、堀、桑島、水谷、満田の庭園班以外ばらばら。井川は建築班、藤咲は絵画班、堀岡は彫刻班。
久しぶりになつかしい面々と会いたいという思いが胸を突き抜け、昔の記憶がよみがえる。
 
 会場の南国酒家は1969年以来、場所も誰と行ったかもおぼえているのに、「南国酒家」という名は忘れていた。何度か思い出そうとしたけれど、記憶の隅っこに隠れ、ようとして思い出せなかった。
 
 仲間が一堂に会すると、話し手も聞き手もごちゃまぜのお好み焼のような会話が飛び交う。8名のなかで笑顔がステキなのは、苦み走っている井川と藤咲で、特に藤咲の笑顔は、朗らかの隠し味にシニカル・スパイス。
八人八様。持ち味の異なる人間8名に声をかけた人は誰であれ、各人の特長を知り抜いた者と思われる。原宿駅徒歩1分半の「南国酒家」。
 
 後輩3人は1969年の全体合宿のさい、藤咲と一緒に国立奈良博物館前で記念写真を撮っているから面識はあっても、井川の顔を知る者はいないだろう。その顔に気骨と書いてあった。神戸に生まれ、六甲学院出身の井川はいつも黒っぽい大きめのシュルダーバッグを肩にかけて歩いていた。
 
 1968年、大学に入学し同好会同期の私たちはときおり酒席を共にし、手配はおおむね堀岡と私がやった。椿山荘に近い松聲閣(しょうせいかく)は初夏、早稲田から目白台を散策中に発見し下見。
庭園も14畳の和室も風情があった。17:30〜21:00と3時間半も借りられるし、利用料金も格安。食事の注文はできないが飲食の持ち込みは可という。堀岡を連れて行ったら、「草庵ふうの和室、いいじゃないか。近場にこんなところがあったのか。しかし安いなあ」と驚きまじりに言う。堀岡との交流は互いの長所を引き出せたと思う。
 
 松聲閣に集まったのは7名。井川、井上、小沢、川端、渕上、堀岡など。などと記したのはもうひとりの顔が思い出せないからである。小沢が冗談めかして言う、「七人の侍」と。ほかの者なら冗談にも言わない文言なのだが、小沢が言うと深刻さがなく、滑稽味があり笑いを誘った。川端は会計係専門だった。
 
 侍を感じたのは井川に対してだ。小柄なのだが色浅黒く、ルネサンスの彫像のような彫りの深い顔。精悍で、高校のころ運動部に所属していたと思えるがっしりした身体。風格もあった。それでいて独特のユーモアを合わせ持つ。彼を知らない後輩に会わせたい男の第一は井川である。
 
 南国酒家へ初めて行ったのは1969年。私の母と共に堀も同席して夕食を食べた。中華料理を素地にする中華風創作料理は、脂っ気のほとんどないあっさり味でおいしく、当時の中華料理店では食せないものだった。
以前、堀を鳥取砂丘を案内したことがあり、その時に会ったような気がするので、堀に母が会うのは2度目だったと思う。南国酒家で「友だちになってあげてね」と藪から棒に母が堀に言った。窓際のテーブルから原宿駅前の夜景が見えた。
 
 その後しばらく堀と会う機会はなく、ある日おなじみの場所で会ったら、「あの夜、下宿にもどって腹具合がわるくなって」と言った。その先どうなったか見当はつくのだが、彼は続ける。そして話の最後に、「めったに食べないご馳走をたらふく食べたのがよくなかった。おいしかったのに申し訳ない」と言う。50年も前のことだ。
 
 2001年11月下旬当日、「南国酒家」原宿本店に集まったのは6名。井川と藤咲は出席しなかった。情報通の水谷が、「井川さんは先年亡くなられました。藤咲さんは依然行方知れずです」と報告する。
苦み走った男ふたりがいないのはさみしかった。それでも一部の人たちをのぞいて再会するのは28年ぶり。さまざまな思いがこみあげたが同時に、きのう別れてまた会ったとも思った。そこで目がさめた。夢に出てきた仲間は20歳前後、南国酒家にあらわれなかった井川と藤咲も若いころのまま。
 
 南国酒家の窓ガラス越しにみた1969年の原宿駅前は夢のなかで様変わりしていた。あのときの夜の暗さ、建物の少なさ、寂しさと清々しさ。来店者は私たち3人だけだった。
 
 発起人は原宿界隈に土地勘のある人だろう。1971年6月下旬、明治神宮の花菖蒲をみにいこうと誘われ、原宿駅で女性と待ち合わせ、まったく人影のない苑内で、花をみるのもそこそこにじゃれあった。
彼女なら全員を知っている。この先、夢の記憶も失うだろう。だから忘れる前に書かねばならない。古き良き時代、思い出の人々、思い出のレストラン。
       

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