2019年3月3日    ピザハット エディンバラ
 
 ことの発端はプラハだった。1996年9月末から10月下旬、伴侶と私はプラハを起点にウィーン、ザルツブルグなどを旅した。ルフトハンザ航空ミュンヘン経由を選んだのは、関西国際空港からミュンヘンまで直行便が運航しはじめたのと、新空港フランツ・ヨーゼフが開港し、プラハなど東欧諸都市への乗り継ぎが格段に便利になったからだ。
 
 関空・ミュンヘンを結ぶルフトハンザは、ミュンヘン到着後わずか20分の乗り継ぎでプラハ便と接続する。ジェットウェイは短く、通路はプラハ行ゲートまで100メートルもなかった。ルフトハンザ国際便がミュンヘンの新空港でいかに優先権を持っているかわかる。
 
 プラハに4泊し、3日目はプラハ郊外観光の英語ガイド付き日帰りバスを利用し、温泉保養地カルロヴィヴァリへ行った。その日帰りツアーで出会ったのがヨークのご夫婦。ほかにも英国からの旅人が男女各1名づついて、カルロヴィヴァリでのランチタイムのおり、特に指定されたテーブルはなかったのに、私たちは英国人5名と同席した。2時間半ほど歓談したのだが、話の内容はほとんど忘れてしまった。
 
 昼食後、外へ出ようと歩いていると背後から声がかかった。快活な感じの中年女性が、「食べませんか?」と差し出したのはゴーフル。チェコの温泉保養地で食べるゴーフルは格別だった。その女性は口数すくなく、交わした会話もわずかだった。
鮮明におぼえているのはヨークからやって来た夫婦である。年齢は60代半ばくらいで、ご主人は私の伴侶をとても気に入っていた。別れぎわに感極まったのか目がうるみ、伴侶のほっぺにキスした彼の顔がいまも目に浮かぶ。彼らと別れて不意に思った。よし、行くぞ、ヨークへ。
 
 それから3年後の1999年6月中旬、私たちは英国へ行き、ヨークで2泊した。ご夫婦とはお互い名前も住所も知らないので会えなかったけれど、その代わり生涯忘れられない風景と出会うことができた。ヨークシャームーアだ。
ムーアを見ずして英国を語ることなかれ。寂寞に満ち、荒涼たる人を裏切らない。神々しくみえる人間が人を裏切ることはあっても。
 
 ムーアは私たちの孤独が詰まったガラス瓶にひびを入れ、空中に広がる孤独をかき集めて私たちに示す。ムーアはかすかなうめき声をあげて言う、「わしらは心の風景だ」。
澄まし顔もエクスキューズも不要である。目の前に心の風景が広がり、素の自分と向き合あわざるをえなくなる。自分とムーアが同化する。そうなのだ、この寂寞は自分自身にほかならないのだ。ヨークの夫婦はムーアの使いなのか。
 
 ヨークをあとにした私たちは北イングランドの東海岸を眺めながらドライブをつづけ、ダラムで一泊後エディンバラに入り、古色蒼然たる旧市街のたたずまいに魅了される。
初夏のスコットランドは一日に四季が顔をみせる。晴れれば暖かさを感じても、曇ったり雨が降ると気温は急降下、雲の色は燃えるような黒紫色に変わる。大地も空もムーアとつながっている。旅は旅を呼ぶ。経験が新たな旅を志向するのだ。
 
 ときは6月下旬、日本にいると思いもしないのだが急にピザが食べたくなり、ハイストリートとノースブリッジの交差点付近にピザハットを見つけて入った。午後遅い時間だったせいか店内はほかに一組の客しかいない。
女性従業員が素早く注文をとりにくる。おそらく22歳前後、身長160センチほど、身体全体にあふれる躍動感、颯爽とした雰囲気、バランスのとれた体躯、形のよい足、凛とした面立ち、店内が映る大きな瞳、ミディアム・ストレートの濃褐色の髪。
 
 「まだサービスタイムなので、向こうのカウンターにある生野菜はフリー(無料)、カリフラワーも生ですが問題なく食べられます。噛んだときちょっとだけ反発力があるかもしれません」。ほんのすこし首を傾けてそう言った。英国でこんなおいしいのが食べられるのかと思えるピザだったが、何よりも魅了されたのは女性従業員の雰囲気と容姿。
 
 1999年10月もスコットランドを旅してエディンバラで数泊した。そのときはピザハットへは行っていない。再会したら年甲斐もなくときめいて忘れられなくなる。しかし再会しようとすまいと忘れられない。英国旅行の先々で伴侶のうしろにピザハットの女性が見えてくる。
 
 
 REAL SCOT SHOPはエディンバラのハイストリートに面し ピザハットは画像左(西)200メートルのノースブリッジ通りと交差する地点


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