2019年2月21日    サスキア カルカソンヌ
 
 1999年10月の南西フランス・ミディピレネーは、重いスーツケースをホテルに預けたトゥールーズ以外は英国カントリーサイドと同じような田舎旅で、コルド・シュル・シェル(人口約960人)、ロカマドゥール(人口約630人)など小さいがゆえに一日でなじみ、子どものころにもどったような懐かしさを感じる村が点在していた。
 
 カルカソンヌはミディピレネーのラングドック地方オード県にあり、約4万7千人の人口を有する町だが、カルカソンヌ市街を観光する者はいない。観光客は町から徒歩25分、オード川を渡った城塞の街シテをみにくる。
シテの蘊蓄は各自が調べてもらうこととシテ、シテ内の高級ホテルのレストラン「バルバカンヌ」(当時ミシュラン星付き)で食した晩飯が高料金の割りにおいしくなく、食後、オード川に架かる橋からライトアップされたシテを見ての帰り、石畳の路地を歩いていたら、若い男がホウキで路地を掃いている。
 
 よく見ると、横長の小さな店に沿って掃いており、給仕のような服を着ている。私たち3人(伴侶、その姉)に気づくと明るい声でボンソワールと言った。これが結構なイケメンで、しかも感じのいい好青年。ここはレストランかと尋ねると、ウィと言い、ジャンル分けするとレストランより小規模のブラセリーですと説明してくれた。
明晩の予約は取れるかと聞いたら、だいじょうぶです、3名ですか?と言うのでウィとこたえる。若いのに物腰と応対が洗練されている。こういう場所で食事すればうまいぞよと経験がささやく。
 
 翌日、サスキアの前を通りかかったとき店名を確認した。「Chez Saskia」(シェ・サスキア)のChezを仏和辞書で調べると「〜の店で」、「〜の家で」の意であることがわかったが、辞書に載っていない「Saskia」って何? 人名のような地名のような。サスキアは夕食をとったホテル左側に隣接していた。
 
 きのうは魚介料理を食べたけれど、きょうも肉を食する気になれず、前菜は小エビのカクテル、メインは白身魚のムニエルを注文した。料金は昨晩の3分の1、味は百倍。1989年7月の南仏とパリでミシュランの2つ星以上のレストランで食べ、だまされた気分になったのだが、気をとり直して今回もトゥールーズの2つ星で食した。
結果は料理人の味覚を疑いたくなる塩辛さ。店の内外装、皿や食器、テーブルクロスが立派でも、皿や食器などは食べられない。ミシュランの星をありがたがる輩は日本に少なからずいて、たいしたこともないのに、ミシュランの星か、さすがだと思うのだろう。先入観も甚だしい。
 
 隣のテーブルで食事していた中年夫婦の夫が声をかけてきた。「昨晩、バルバカンヌでお見かけしました」。「そうでしたか、まったく気づきませんでした」。「○△を注文なさっていましたね」。「よくおわかりで」。「日本人はあなた方しかいませんでしたから。どうですか、昨晩の味と較べて?」。「別物です。ぜんぜん違います」。「そうですよね。私たちもそう話していたのです」。
その夫婦はモントリオールから来た日本贔屓。毎月1回はモントリオールの日本料理店へ行くらしい。車は日本車で、ミカンが好物であるとか。
 
 さて、サスキアです。店の壁にレンブラントのスケッチ画、女性(美しくない)の画が飾ってあったから、レンブラントに関連する名かもしれないと思っていた。昨夜の給仕が言うには、壁の画サスキアはレンブラントの奥方で、29歳で亡くなったそうだ。
カルカソンヌのブラセリーにオランダの画家と妻。おもしろいめぐりあわせと思い、サスキアの名が記憶に残っている。描かれたサスキアの顔は忘れてしまい、思い出せそうにない。
 


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