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方丈と開山堂のあいだに架かっている。ここからのぞむ紅葉は有名であるが、通天橋はラッシュアワーの満員電車と化す。
正月4日の東福寺は人もまばらで独特の色と空気につつまれ、心に残りました。
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左側の建物は方丈
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八相の庭「西庭」の通天台からの景観
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方丈西庭の通天台より通天橋をのぞむ
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通天橋下の小さな渓谷を洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ぶ。洗玉澗は偃月橋(重文)から臥雲橋までつづく。
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通天橋の下から愛染堂(重要文化財)をみる。愛染堂は八角形の柿葺で南北朝時代の創建という。
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昭和12年、東福寺25塔頭のひとつ万寿寺より移転された愛染堂は、いうまでもなく愛染明王をまつる。
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方丈の周囲に南庭、西庭、北庭、東庭の四つの庭を配したのが東福寺方丈「八相の庭」の特長。
八相の庭は重森三玲が昭和14年に完成させた。
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左から瀛洲(えいじゅう)、蓬莱、壺梁(こりょう)、方丈、五山。砂紋は八海。「八相の庭」はこれらに井田市松、北斗七星を加える。
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重森三玲が東福寺から造園依頼されたとき、東福寺は金がなく(ホンマかいな)、重森三玲は重森家子々孫々の
永代供養と引き替えに作庭を承諾した。
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南庭のうちの五山
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七つの円柱の石は北斗七星を、背後の生垣は天の川をあらわすという。北斗の庭とも呼ばれる。
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刈り込みはサツキ。
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西庭はサツキの刈り込みを市松模様に配すことから「井田市松」と呼ばれる。
「井田=せいでん」とは古代中国でおこなわれた土地制度である。
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