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井植山荘へはハイキング道を選んだ。別の道は車走行可。ただし途中で関係者以外の車両通行不可。
別の道は阪急電車「雲雀丘駅」からバスで「満願寺」下車、徒歩15分。傾斜は少ない。
上のハイキング道は阪急電車「山本駅」から徒歩40分。傾斜は急なところもあるが気分爽快。
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表門の外側
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茅葺きの意匠が外側と異なる。向かって右の竹塀も外側と意匠が違う。
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秋でもないのに葉の色が
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敷地(山林)10万坪 庭園3千坪 山荘は大正3年、藤田伝三郎男爵の実弟により建築され、第二次大戦後、
三洋電機創業者・井植歳男が買い上げ、井植山荘と命名された。
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逆光に新緑が映える。数寄屋風建物の見学45分(ガイド説明)、庭園散策30分、75分の遊行。
3日間各日ペア10組X3回、計90組が見学。この日3回目10組20名では私たちが一番若かった。
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非公開であったが、平成22年に一般公開された。ハガキによる公募抽選である。
今回もその例にならって5月13〜15日に公開。約5倍強の倍率。
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個人所有の歴史的(築98年は歴史的というべきかどうか)建造物ということから内部を見学する
機会は少ないが、こうして一般公開されるのはいいことである。井植山荘は法人登記ではなく
井植家の個人登記。アーカンソー州知事時代のビル・クリントンがヒラリー夫人と共に来訪したという。
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大正モダンとでもいうべき和洋折衷。引き戸のガラスに新緑と撮影者が映っている。
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ここから母家をのぞむと、学生時代訪問した金井美朝子さんの世田谷区岡本町の邸宅&庭を思い出した。
うっそうとした森の木立と小高い築山が視野をさえぎり母家は見えず、広大な庭に点在する離れの
一つ(茶室)に通され、何年も仕えていることをうかがわせる女性が静々とお茶と和菓子を運んできて、
「お嬢さま、大旦那さまが母家にご案内してさしあげたらと仰せになっておいででございますが」と
金井さんにたずねた。金井さんは、「ここでよくてよ」と馥郁たる香りをただよわせながら品よくこたえた。
金井家は明治からの富豪、井植家は昭和の富豪。井植歳男氏の令嬢は甲南女子大の学生で、家内の姉と同窓。
金井さんは早稲田大学古美術研究会庭園班に所属。古美研野球大会の球場として世田谷グランドを借りるため
金井家を訪問したのである。ときに1968年、金木犀の匂い立つ秋の日だった。
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岩の上に長さ39cm 幅25cmの足形が残っており、鎌倉時代、北条時頼=最明寺入道が
ここに錫杖を携えて屹立したと伝えられている。最明寺滝の名はその当時に遡るという。
足形伝説を大正モダンの一環とみることはできないとして、伝説を取り入れるところに妙がある。
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桂離宮もどき
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形状から内部の階段に傾斜のあることがわかる。斜面を巧みに利用している。内部撮影禁止がうらめしい。
窓(ガラス窓もある)の一部は登山用トラムカーのように菱形。斜めの窓。
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