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「蜻蛉日記」の作者「藤原道綱の母」は夫藤原兼家の度重なる女通いに耐えかね洛西嵯峨野に入り、読経三昧の生活をした。
かつて兼家は毎夜自分のもとに通い、ときには宮仕えもサボってふたりで鳴滝に山ごもりし、くながひに耽ったこともある。
それに較べていまはという思いがつのっていかんともしがたく、夫への、そして自己への執着は強烈であり、そこから逃れえない
と知った彼女は、36歳で日記をつけはじめる。日記は嵯峨野で4年間書き綴られた。
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清滝にふさわしい僧が4人いる。栂尾寺を再興し高山寺と名づけた明恵、明恵に茶種を贈った栄西、
神護寺再興に情熱をそそいだ文覚、そして西行。
この地を訪れた芭蕉は次の句を詠んだ。
清滝や 波に麈なき 夏の月
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西明寺はすでに参観時間を過ぎて閉門するところで、門をしめたのは感じのいい中年女性。しめる前に会釈しておられた。
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西明寺の住職が裏山に植えたとされるつつじ(右側の屋根は西明寺)。
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ミツバツツジは花が終わった後に葉が出てくる。ソメイヨシノと同じ。それゆえ群生するようすは美しい。
洛中から高山寺に向かって周山街道を北上すると、高山寺駐車場のすこし手前に一つ目のヘアピンカーブがある。
それを通過した途端みえるのがこの光景。
☆周山街道は洛中から丹波への道のひとつで、仁和寺前から御室川の谷をさかのぼり、高尾・槙尾・栂尾から清滝川の谷を北上、
中川・小野・笠峠・栗尾峠をへて右京区京北付近に至る街道をいう☆
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枝先の葉が3枚つくことからミツバツツジの名がついている。
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北山杉の奥まで這うように分け入っているミツバツツジ。
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二尊院総門に向かって左手に咲くヤマブキ。ヤマブキはサクラどうよう一重と八重があり、ここは一重。
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二尊院から落柿舎へつづく道。清滝川あたりからここまで安全運転して20分弱。
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二尊院の近くの公園は小倉山のふもとにあることから百人一首公園と名付けられている。
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この時期京都にくると、夕方おそい時間になって人影のとだえた二尊院前にきて、
百人一首公園の遅咲きの桜をみるのが恒例になりました(二尊院はすでに閉門)。
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