2015年7月3日午前11時20分〜正午過ぎ 20年ぶりの法金剛院 嵐山・嵯峨野方面へ行くとき必ず通る丸太町通に
面している法金剛院なのに 素通りしてきました
平成7年の法金剛院行きはハスが目的ではなく 辻邦夫著「西行花伝」 角田文衞著「待賢門院璋子の生涯」の待賢門院璋子
が住んでいたこの寺を拝観し 裏手の五位山御陵もお詣りしたかった あれから20年 今回はハスをみるための拝観です
法金剛院
法金剛院は平安期はじめ、右大臣清原夏野(舎人親王の孫 782−837)の山荘地に
待賢門院(1101ー1145)が建立した御願寺。
境内の池は往時の面影をしのばせているといわれています。
清原夏野は詩文にすぐれ、小野篁らとともに「令義解」の編纂にたずさわりました。
法金剛院は関西花の寺第十三番です。
阿弥陀如来座像
平安末期、法金剛院の池の西に西御堂、南に南御堂、東に待賢門院璋子の寝殿が建てられました。
阿弥陀如来座像(重文)は西御堂の本尊で、定朝様(平安時代後期)の三阿弥陀(ほかに平等院&法界寺)
といわれ、作者は院覚。
法金剛院には70品種のハスがあるといいます。
とまっていたハチでしたが
飛んでいきました
70品種あっても、目を奪われるのはこういうハス。
どこか色っぽく、仏と真逆なものを連想する。
色白で柔肌の美しい女が悦楽にふけっているとき、
まぶたに桃色がさしてくるさまに似ています。
白河法皇、鳥羽天皇はそういう状態の璋子さんを見ているけれど、
藤原璋子さんを慕っていたと思われる西行は見ていないでしょう。
「西行花伝」に思わせぶりな一文はあっても。
釜江正巳著「花の風物誌」に、「ハスの歴史は古く古事記に出てくる。
仏教渡来以前に咲いていたが、仏教に教化されてか“あの世の花”として仏の花、
仏国土への来迎花など“めでたくない花”としての印象が強くなってしまった。」
「遠い昔は宮中をはじめ愛好家による観蓮会が催され、鑑賞の花として親しみ、
いまも各地に観蓮会が続いている。」と記しています。
沙羅双樹と銘打って客を誘うのは妙心寺東林院ですが、ナツツバキと割り切って
みてくださいということでしょう。
ナツツバキの花は一日花で、一日を咲き、一日で散る。ハイビスカスのように
額からポトリと落ちる。
沙羅双樹=シャラノキはインド原産、日本で育つことはありませんが、
ほんとうの沙羅双樹ではなくともナツツバキの散り方は独特。
小さなもみじ
ハスの葉の上に小さな小さなモミジが乗っかっていました。
7月なのに半分紅葉して。
トンボ
シオカラトンボも遊びにきました。
青女の滝
法金剛院の庭は平安末期の遺構といわれ、1968年、青女の滝が発掘され、復元しました。
阿弥陀如来座像
阿弥陀如来座像
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