Dec. 20,2013 Fri    ジャン・ロシュフォールの挑戦

 
 先日、ジャン・ロシュフォール(1930−仏)の「ふたりのアトリエ」をみた。前回、ロシュフォール主演の映画をみたのは「列車に乗った男」で、主演作ではないが出演作をみたのは「美しき運命の傷跡」、「唇を閉ざせ」など。いずれにしても10年ぶりの主演である。一度見たら忘れられない顔と雰囲気で、「カトマンズの男」(J・P・ベルモンド主演)で殺し屋をやったのをおぼえている。高校時代だった。それから30数年後、「髪結いの亭主」の見事な亭主役に目が釘付けになった。
 
 演技の幅が途方もなく広く、しかし器用貧乏に陥らず、演じても演技を感じさせない自然体、脇役に回っても主役を食わず、独自の色調と光彩を放ち、髪結いの亭主もわるくないと思わせるものをもっている。癒やされることを期待したわけのものでもないのに、終わってみたら癒やされている。あるいは生きることにおける何かを投げかけている。重いことを重く思わせず軽妙洒脱にスクリーンを駆けぬける稀有な役者。
 
 止まると足にトゲを感じるから走り続けなければならないといったのは誰であったか、役者が役者を続ける心の裡もそういうことであるだろう。それにしても髪結いの亭主というほとんど仕どころのない難しい役を引き受けるにあたって監督の意図とは別に役作りは困難をきわめたろう。
こういうとき役者の多くは苦しまぎれに怪演に走るけれど、ロシュフォールはそうはしなかった。そこがすごい。怪演はときとして映画全体をこわしてしまう。髪結いの亭主がそんなことをするだろうか。
 
 「ふたりのアトリエ」は女性の裸体を永年追究する彫刻家の話である。妻役にクラウディア・カルディナーレ(1938−伊)。「鞄を持った女」、「ブーベの恋人」などで知られる往年の名女優。クラウディア・カルディナーレはブリジット・バルドー、マリリン・モンローとともに性的魅力をもつ女優として人気は高かったが、演技派女優の定評もあった。ロシュフォールがまだ駆け出しのころすでに大女優だった。
ジャン・ロシュフォールは1975、1977年と2度にわたってセザール賞主演男優賞を受賞している(映画は2本とも本邦未公開)。しかし、最近死亡が伝えられたピーター・オトゥール(1932−2013 「アラビアのロレンス」&「冬のライオン」)もロシュフォールと同じく名優にもかかわらずオスカーと無縁の役者もいる。
 
 受賞で思い出すのはエフゲニー・キーシン。コンクールや受賞を経ずして頂点に立った若きピアニスト。カラヤンが天才と折り紙をつけたのもうなづける。クラシック音楽のソリストと役者の違いはあっても、名演を続けるという点で同じ。オスカーという栄誉ある賞は賞として、審査員の多くが米国の「プレス関係者」というのはどうしたものか。くさい芝居をするトム・ハンクスに主演男優賞を2度与える関係者には演技過剰が好ましくみえるのだろう。
 
 時は44年前、1969年にさかのぼる。その女性KMさんは早稲田大学古美術研究会庭園班に所属していた。
生家は東京でも有数の富裕層で、敷地内の鬱蒼とした林に囲まれた広大な邸宅に住んでいた(「書き句け庫」2006年3月7日「庭園班OG(1)」)。KMさんがほんとうのお嬢さんであったことは、きびしい躾と行儀のよさ、清楚な服装に裏打ちされていた。洋服の色もデザインも奇をてらう要素は皆無、でしゃばらず、優美なしらべに満ちていた。新入生歓迎旅行の明るいグレーのスーツは合っていたし、薄水色のセーターが似合っていたのも肌の白さゆえである。
 
 ある日、庭園班同期の男性がデートにさそった。行き先は深大寺植物園だったと記憶している。その日KMさんは赤いコートを着てきたという。それから40年ほど経って法隆寺でその話を聞いたとき、KMさんを少し知っている小生は、KMさんの挑戦だと思った。そしてそれは古美研時代、ほかの誰に対してもなされなかった挑戦であり、KMさんは赤を着ることによって心意気を示したのだ。
赤は特別の色で、あなたはほかの人とはちがうというメッセージだった。赤はおそらく、深大寺のふたりが共有する秘密めいたシグナルという意味合いもあったろう。
 
 ジャン・ロシュフォールは80歳を越してマイヨールを想起させる彫刻家役に挑んだ。画像の彫像は一部しか写っていないが、みてのとおり「地中海」である。挑戦はいつか終わる。思索する力の失われる日がくるように。「ふたりのアトリエ」はジャン・ロシュフォールの遺作となるかもしれない名作である。

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