Jul. 10,2013 Wed    投稿メール
 
 ホームページを開設し旅や雑文をアップしてはや12年が過ぎた。その間多くの方々からメールをいただき、励まされたり、感謝の気持ちでいっぱいになった。12年間続けてこられた所以はそこにあってほかにない。
数日前、イズミMさんという女性からメールが入った。きっかけは南イングランドのサウス・ダウンズとセブンシスターズの画像で、イズミさんはそこからホームにリンク、そして古美研庭園班OB会にアクセスされた。「大好きな湖水地方」とメールに記され、そこで接点が生じていたけれど、琴線にふれたのは古美研庭園班についての一文である。
 
 【「早稲田大学古美術研究会・庭園班」では今もOB会が開催されている様子、早稲田には素敵なクラブがあるんだな、と感心しました。皆様の笑顔が印象的で、多分同年代の私もとても共感しました。学生時代の友人達との集まりは本当にいいものですね。】
イズミさんは慶大48年卒、「いままたヴァイオリンを引っ張り出してきて、世田谷の市民オケと老人ホームなどで訪問演奏するグループで活動しています」という方だ。アベ、ウチダ、クワシマ、ミズタニ、ミツダの各君、いわゆる五大老と同期で、私たち三長老の一年後輩ということになる。学校が異なるのに後輩というのもヘンですが。
 
 イズミさんの厚意的メールは束の間のかすかな一滴かもしれない、が、草原の輝きにも似て馥郁たる香りのただよう妙なる一滴なのである。
古美研庭園班の面々との交流は短いにもかかわらず奥底に入り込み、40年以上の歳月を経たいまも追懐の対象となっている。なに、追懐といってもたいていは些事、小事であって、小生が洋食専門の「高田牧舎」とか鶴巻町の食堂で、いつものようにクワシマ君、ミズタニ君と共に昼食を食べたこと、同期のホリがドライカレーを初めて食べたといっていたこと、小生の注文した皿はクワシマ、ミズタニ両君の注文したものより20円か30円高かったとクワシマ君が近年記していたことなど。
 
 クワシマ君、ミズタニ君とのランチは会話が目的で、だから会食というのかと思ったり、それにしても彼らの情報通と情報の裏付けとなる収集力、観察力はそうとうなもので、よくもまあ見ているものだと驚愕したり呆れたり。おとぼけのクワシマ君、癒やし系のミズタニ君は学生時代最高のコンビであり、ほかのだれも持つことのないであろう濃密な空気を共有していた。空気であるかぎり互いに意識することも存在を感じることもなく、だけど、なくなればタイヘン。
 
 些事としても小生は彼らのことをよくおぼえていて、彼らも小生のことをよくおぼえている。2006年5月東京でおこなったOB会に、小生が依頼したこととはいっても、クワシマ君がそのために会社を休んで整理した古美研時代のアルバムをたくさん持参してきてくれた。ホリ、クワシマ君、イノウエなどがたまたま隣り合わせていたこともあって宴席前半、三人の話題はアルバムに集中した。
ホリ、イノウエが就活に専念していたころ、いや、正しくは就活と就活以外の雑事に追われていたころ、庭園班はクワシマ君とミズタニ君を中心に古美研他班との交流を深めていたのだった。二人が企画した日帰り小旅行の参加者の顔ぶれを見ると、以前にも記したが、クワシマ君の同期の彫刻班、石彫班などの女性の多くが写真に写っていた。これなら花を愛でる必要もない。そのあたりに庭園班の魅力が潜んでいたのではないだろうか。
 
 両君とランチを共にした回数はだれよりも多かったし、元祖癒やし系のミズタニ君は卒業後、会社の出張で小生のところに泊まっていったこともあったが、学生時代に泊まりがけの旅を共にしたことはなかった。泊まりがけの旅をしたのはホリ、そしてミツダ君とである。
鳥取砂丘で写っているホリの写真がある。鳥取のどこで泊まったのか思い出せない。ホリは昨年末に永眠した小生の妹のことや従兄のこと、従兄のスカイラインGTRで芦屋の細い裏道を駆け抜け、車も人もいない夜の六甲山の麓へドライブしたこともおぼえていた。
 
 ミツダ君とは1971年初秋、信州を旅した。蓼科で一泊、菅平で一泊したと記憶している。この6月に鹿教湯温泉と安曇野に行き、庭園班OB会と安曇野のアップ画像を見たミツダ君から「安曇野へ行ってみたいですね。また一緒に旅行行きますか」とのメールが届いた。うれしいことを言ってくれてと思ったけど返事は保留。
ミツダ君には伝えていないが、来春4月下旬、藤の花が満開のころ庚申庵再訪を考えている。信州の旅はそのあとでもいいか。松山には坊ちゃん列車という保存鉄道があり、そしてまた空気がひんやりして気持ちいいのも英国的。
 
 ミツダ君と1969年か1970年の夜、祇園祭宵山の祇園界隈を歩いたこともある。オジさんが京都にいるので門限ないけんと言っていたような記憶がある。ミツダ君から繰り出される松山弁はやわらかく、あたたかく、あかるく、しかも間が絶妙で口調も内容もおもしろい。過日、ミツダ君が引率した二番町の若旦那の話やスナックの電話交渉の話を家内にしたら大ウケだった。
 
 こんな楽しいことがあるのに、渕上正美の行方はようとして知れず、絵画班チーフで都立王子高校出身の藤咲博久は生死不明。建築班にいた六甲学院出身の井川三郎はこの世にいない。
英国鉄道の旅(BSフジ)で長い間ナレーターをやっていた伊川東吾の声を聞くと井川の声を思い出す。渋みのある低い声はハリがあってよくとおる。英国に移住した伊川東吾どうよう井川の語りには味があった。顔は精悍で日焼けしてもいないのに黒く、彫りが深かった。ホリ、ミツダ君とメール交換する楽しみは楽しみとして、井川や藤咲ともメールのやりとりをしたかった。二年前からそういう思いが湧いては消え、消えては湧いた。
 
 季節はめぐり、人はめぐり、とどまることはない。

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