Jun. 22,2013 Sat    室生寺
 
 2013年6月18日、室生寺を訪ねた。桜とツバキの咲くころ訪ねたのが2011年だったから二年ぶり五度目の再訪である。
奈良県内にあるお寺のなかで再訪回数の多さは東大寺法華堂&戒壇院、興福寺、法隆寺、円成寺、飛鳥寺、白毫寺の四度を抜いて一位になった。
室生寺がなぜ愛されるのかよくわからない。愛されるなどと他人事みたいであるが、ロケーションが抜群、金堂や五重塔の佇まいが優美とかを列挙してもなお言い足りない何かがある。
 
 初めて室生寺を訪ねたのは1970年、名残雪が小生の寂寞を溶かしていた3月初旬だった。二度目は4月中旬だったが、何年かはおぼえていない。
春夏二回恒例のハイキングで行った。すでに桜は散り、石楠花にはまだ早かった。三度目は1991年11月中旬。室生寺の紅葉の見頃は年によって変化し、概ね11月下旬がよいとされるが、このとき紅葉真っ盛りだった。四度目は2011年4月13日。
 
 振り返って追懐に値すると思えるのは最初と今回である。初訪問については2006年10月16日「室生寺雑感」に書き記したからくり返さない。小生にとって室生寺は石楠花や紅葉の季節とはあまり関係がなく、ほんとうのところをいえば、そういう季節は花より人を見に行くようなもので、人に会いたくない者として単純明快なことは人のすくないのがなによりなのだ。
 
 家内は二年前が初めての室生寺で、そのとき瞬間的直感的に室生寺を気に入ってしまった。なによりもロケーションが、お堂と五重塔のかたちと色、森や樹木との調和が、そして静寂がいいとそのときも今回も言った。家内とは京都奈良の神社仏閣をかなりみてきたけれど、癒やし系の家内が気に入ったのは円通寺(京都)と室生寺。仏像は阿修羅のみである。
 
 室生寺再訪がきわだっていたのは、拝観者皆無の正午の読経(般若心経と観音経)に居合わせ、僧の声が木々にしみこむように響き、室生の森をさらに深閑たるものにしたこと、金堂の守をしていた76歳の女性の話と、本堂の守をしていた60代後半と思われる男性の如意輪観音の説明を拝聴できたことである。女性はことし3月まで50年間室生寺に勤め、退職後も声がかかればお手伝いに来ます、声のかかるうちが花と言っていた。
 
 本堂の男性の説明は単に懇切丁寧であるばかりか、話し方に独特のやわらかさと謙譲のひびきがあって、如意輪観音と対座して拝聴したせいもあったからか、妙に癒やされた。横に置かれた?子(けいす)のたたき方というか、?子のどの位置を棒(倍という)でたたけばよいかを伝授してくれた(「けいす」の「けい」が反映されず?になっています)。ほんとうに人を癒やすことのできるのは決して表に出てこない人々である。
 
 ホームの「散策&拝観」に「室生寺夏」として写真30数枚を掲載した。写真は色あせても記憶は色あせない。いや、60歳を過ぎると実相は逆になるけれど、すなわち、デジタル画像は色あせなくても記憶は色あせるということになるけれど、記憶のなかに埋め込まれたものが何かの拍子に浮かび上がる。
 
 そのあらわれ方は、ぼんやり出てくることもあり、堰を切るようにあらわれることもあって、堰を切ったとき若さの片鱗を感じる。老いてなお若さのかけらが残っているのだろうか、それとも末期症状なのか。
次回、室生寺に行くのはいつになるのだろう。あるいは、あと何回室生寺へ行けるだろうと、室生寺に限らずどこをさまよっても同じことを思う。何も思わず、たださまようという事態は徘徊と呼ぶらしいから避けたい。
 
 室生寺再訪の同日夕刻前、當麻寺・西南院(さいないん)の庭もみてきました。修学院離宮参観に当たっても当たらなくても、10月でも5月でも、特に秋の京都市内はどこも満室だから、宿は日航奈良にして足の便のよくないお寺(室生寺ほか)や、あまり人の来ない名所名刹へ行きましょう。とはいうものの、画像をアップすると行った気になって、別のところがいいと考えるようになるやもしれません。
 
        
           室生寺金堂 正午の読経 
 


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