Jun. 05,2013 Wed    またあした
 
 このことばを口にしなくなって途方もない歳月が過ぎ去った。記憶をたぐり寄せても最後にいったのはいつだったか思い出せない。毎日いっていたのは子どものころで、またあしたになると必ず会えた。家族以外の人間関係の原点はそこから始まり、大学時代までつづいた。
 
 あしたが来ると何かがよい方向に向かうと信じた心に隙間の見えはじめたのはいつごろからだろう。心は崩れたり、折れたりしたが、自分を信じる気持ちを保たずにいられなかった。経験の上積みに比例するかのごとく病魔も上積みされ、おまけに加齢が行動の邪魔をする。
 
 もともと徒党を組んだり、他者と肝胆相照らして行動するタイプではなく、孤高となじみを重ね、人から離れて行動した。相手がだれであろうと、賛意をもとめられても得心がいかなければイエスといわない。が、そうはいっても心のどこかでこれはという人からは理解されたいと思っている。
 
 海外旅行はできるだけ同胞と会わずにすむ個人旅行にしてきたし、ツアー客がほとんど行かない場所を選んできた。特にチャイニーズのマナーは極悪で、やかましさ、傍若無人ぶりは大迷惑ゆえ、99.99%中国人を見ずにすむ地を厳選した。宿も英国ならカントリーサイドのB&Bかプチホテル、またはマナーハウス、カントリーハウス。
 
 旅の途上で同胞に遭遇したときは、ハイキングですれちがったハイカーに挨拶するようにまず自分からすすんで「こんにちは」という。他者と接するのを避けたいくせに礼儀を失するのも避けたいのである。
 
 大学時代の仲間(後輩)のなかに元祖癒やし系とよべる人間がいた。かれは古美術研究会庭園班にいて、班内のほとんどすべてと他班の多くからそういう定評を得ていた。
後に癒やし系と水商売の女に評される者もいたが、当時はまだ他者を、とりわけ意中の女性を癒やすほどには至っておらず、さまよっていたと思う。と記すと、なに、さまよっていたのは全員でしょうと陳腐な話になってしまう。
 
 自分の伴侶や子、孫に「またあした」とはいわないだろうし、仕事仲間やご近所に対してもそういわないはずである。いってもヘンな顔されるだけだろうから。そしてまた、心のなかで彼らに「またあした」と唱えることもないだろう。「またあした」といえる相手(口に出さず心のなかでいったとしても)は特別であり、家族同様、記憶に残る人なのである。
 
 先日、同期の男性が「写真に写る老けた我が身の姿がおぞましい」とメールに書き記していた。会っているとまったくそうは思わないのだが、いわれてみると4、5年前の写真に較べると老けたようにも感じる。受け入れながら拒むのが老いというものだろう。
 
 このところ体調が定まらず、毎月体調不良の日が何日かあって、そのたびに思うのは、あした目が覚めるだろうか、である。「またあした」といえた日々をなつかしんでもしかたないとして、きょうは安らかな眠りにつきたい。

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