May 19,2012 Sat    人生はサーカスなり
 
 あれはいつだったか、初夏の気持ちよさは遠のき、歩くには暑い日だった。それでも、たちどまって塔を見上げていると、地下水をくみ上げる木々に力を貸す強い日差しが樹木をリフレッシュしたあと、涼風を創り大地に送り込んでいた。若々しい女性はレンゲ畑だ、花と草各々の調べが適切で、色のバランスがとれている。が、レンゲ畑を見て郷愁に似た何かを感じることはあってもときめかない。ときめくのは古き良き時代の自分にもどることのできる何かに対してである。
 
 あの日の数日前、マツダさん(仮名)は若い女性を奈良に連れて行くと言った。その女性はオーストラリア在住の中国系で、そのころマツダさん宅にホームステイの傍ら立命館大学で二ヶ月間の短期講習を受講していた。私は、奈良に伴うことは問題ないとして、これまでの経緯からその女性を会合に参加させることはできないと伝えた。
 
 マツダさんは何があっても参加しなければならないと決めたのだ。前日までに不治が入るとか心のゆらぐようなことが、あるいは、当日身体をこわすとか、持病の悪化するようなことがあっても留学生との約束を果たすよう仕向けたのだ。そういうふうに自らを追い込んで会合に参加しようとしたのだ。義理がそうさせたのである。案の定、その日マツダさんは体調を崩していた。本人はおくびにも出さなかったけれど、目に勢いはなく、髪はほつれていた。だが、マツダさんは見た目以上に健気だった。綱渡りも平気ですという顔をしていた。
 
 話は変わる。
5月初旬、M君と電話で話したとき、「好きになるとわからなくなる」と言ったM君の言葉を理解しにくいのは、好きになってもならなくても、わかるときはわかるのであり、わからないときはわからない、好きになれば関心度が増して、以前よりわかるようになることはある、好意と関心は蜜月の関係にあって、相手の好意を感じとればおのずと関心を寄せ、理解も深まる、猛獣の調教師然としたやさしいM君、わかっちゃいるけど確信がなかったのだ。
 
 あのころは皆そうではなかったろうか。交際のかたちはどうあれ、女性が自分に好意以上のものをもっているかどうかわからず、花占いでもしたい心境だったのだ。告白はできず、告白されることもない日々。告白することはサーカスのナイフ投げに等しく、的をはずれればいいが当たればタイヘン、ナイフは自分の胸に刺さって恋は終わる。そんなふうに悲観的に考えていたのだろう。M君が「好きになるとわからなくなる」と言ったのは、自分は好きでも、相手が自分を好きなのかどうか確信をもてないという意味である。畢竟、「恋の至極は忍ぶ恋と見立て候」(葉隠)に身を寄せるしかなかった。
 
 近年すっかり上映も上演もされなくなったサーカスもの。子供のころみた木下サーカスは人生の縮図だった。ウケ狙いみえみえのピエロ、曲芸師のひやっとする綱渡り、みてはいられない空中ブランコ、ライオンの火輪抜けなど猛獣使い。サーカスにあることが家庭にないと誰にいえよう。どの家庭にも猛獣はいる。綱渡りも日常茶飯。不安定な生活を強いられ危険の伴うサーカス団員には敬虔な信仰者が多いという。そこが一般家庭との相違であるだろう。
 
 小学生低学年時代、近所の悪ガキがある日しょんぼりしていた。理由もわからず数日が経過した。悪質なイタズラをしなくなったので不審に思っていたところ、その子の母親が私にこんなことを言った。「ご近所に迷惑ばかりかけるから言うたんです。サーカスに売り飛ばすからね!」。よくもわるくも必殺文句だった。売り飛ばされたわけではないが、尾藤イサオはサーカスでナイフ投げほか軽業師の経歴をもつ渋い役者である。
 
 そのときどきに癒されることはあっても救済にはほど遠い。年々癒されることも少なくなった。最近は見知らぬ人から親切にされたとき癒されたのかなと思う。7年前再会した面々のうち神社仏閣で手を合わせる人を見たことはなかったけれど、HKが手を合わせるすがたを近ごろ見かけるようになった。前は仲間のそばで手を合わせるすがたをみられたくなかったのか、もしくは、手を合わせたくなるような心配事がなかったのか、それとも。
 
 
 祈ることによって自分の心と向きあう。祈りに意味があるとすればそこにあってほかにない。
昭和56年1月から平成6年10月まで13年半、来る日も来る日も生活実践の一環で朝晩祝詞をあげ祈り続けた者として、ほかにこれといって達成感をえたことのない人間として、祈りは唯一の達成である。祈りは生活に密着していた。朗々と身滌大祓、天地一切清浄祓、祈念祝詞をあげなくなって早17年半、思い出しては心のなかで身滌大祓祝詞をあげている。祈りだけがよりどころであるわけのものでもないのに生の主要な部分を占め、心のサーカスは消えても人生のサーカスは上演され、しかも人生のサーカスはこの一文と同じでおもしろくもない。

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