Mar. 16,2012 Fri    居酒屋
 
 めずらしく早朝に起きたものだから、遅い夕飯のあと急に睡魔が押しよせ眠りに落ちた。どのくらい眠ったろう、耳元でかすかに歌声がきこえてきた。耳をすますと歌はささやくようなデュエットだった。
 
 そうね ダブルのバーボンを 遠慮しないでいただくわ
 
 映像のない音楽だけの夢は妙に生々しかった。歌手の名も歌の題名も思い出せなかったので、歌詞の一部を手がかりにインターネットで調べたら、五木ひろしと木の実ナナの「居酒屋」とわかった。
 
 だが、夢うつつのなかできこえてきたのは彼らではなく、谷澤忠義さんと西山優喜子さんで、西山さんが谷澤さんに「副会長さん、一緒に歌っていただけませんか」といい、声のよさに定評のある谷澤さんが快く引き受けてデュエットしたのだった。
 
 谷澤さんのオハコは五木の「細雪」であり、「居酒屋」ほかのデュエットソングは歌ったことがないと思うが、出だしの「もしも きらいでなかったら」からすでにサマになっていた。そして西山さんはというと、これがもう雰囲気上々、味があった。
 
 小生はどうしても断りきれない席においてアカペラで「知床旅情」を歌ったことはあるけれど、3年に一度くらいなもので、カラオケで歌わざるをえない場合は、近場の何人かに手伝ってもらって「長崎は今日も雨だった」の「わわわ〜」(コーラス部分)と最後の「長崎は 今日も 雨だったぁ〜」を歌う程度。谷澤さんは月に数度どこかの席でリクエストに応じて歌っていた。
 
 西山さんについては、私たち夫婦が一年に3、4回道東に出向するおり会うことはあったが、歌は聞いたことがなく、娘のチエちゃんが保育所通いする以前は、朝、チエちゃんを小生の家内に預けて実家(茶舗)の仕事を手伝い、夕方、チエちゃんを迎えにくるという日々が続いた。
 
 もともと谷澤さんの歌い方は演歌っぽくなく、「居酒屋」をデュエットした西山さんの歌い方も演歌ふうではない、軽やかに小気味よく歌う。「居酒屋」はどちらかといえば歌唱力できかせるというより味というか雰囲気できかせる歌。したがって西山さんの選曲も自分に合わせてということではなかったろうか。
 
 名前きくほど 野暮じゃない まして 身の上話など   そうよ たまたま 居酒屋で 横にすわっただけだもの
 
 間近できいた歌のなかでうまいと思ったのは、藤原弘道さんの「紫小唄」、大島三代子さんの「ラヴ・イズ・オーヴァー」、Tヒデノリさんの「刃傷松の廊下」、松山政路の「舟唄」である。あれから何年たったろう、松山政路、大島さんのほかはいまも京阪神在住であると思うのだが。
 
 絵もない 花もない 歌もない 飾る言葉もない そんな居酒屋で
 
 そうこうしているうちに昨秋、大阪の日本料理店で朋友HKと交わした会話を思い出した。交わしたというよりHKの記憶が突然よみがえり、そのころにかえったHKの話を聞かせてもらったということで。
早稲田・古美研庭園班の仲間で記憶力のたしかなのはKY君が筆頭と考えていたが、断然HKが上かもしれない。大学1年から2年にかけて文通していた鹿児島のKユウコさんの名前を日本料理店で思い出したどころか、音信が途絶えて何年も経過した後、Kさんが金沢へ来たことまで思い出したのだ。
 
 Kさんについては、小生が九州旅行をした1968年夏、指宿の国民宿舎で知り合ったOムツコさんから依頼があり、HKにお願いして文通を始めてもらったのだった。Oさんの名はおぼえていたのだが、Kさんの名は忘れていた。何がきっかけでHKがKさんの名前を思い出したか思い出せない。
 
 が、そのときのHKの目は遠い記憶をたぐりよせるかのごとく、つむぐかのごとく、撚り縫うかのごとくで、小生の隣にいた家内もHさんにそんなところがという面持ち。見事な記憶のよみがえりというほかなく、話を聞いているだけで当方もあのころにもどったような気分になり、うきうきする夜でした。
友との語らいはおごそかな話と浮いた話の二段構えにかぎります。HKはその話以外にポトマック河岸だったかの桜についても話していたが、それはもしかしたら家内へのサービスかもしれず、よくおぼえていません。
 
 極楽は日が短い。悦楽のなんと瞬時に過ぎ去ってゆくことか。

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