Mar. 13,2012 Tue    友+ダイエー館同窓会
 
 極楽は日が短い。伯母がときおり口にしていたことばである。その意味がわかったのは齢45を過ぎたある日のことだった。なんと悠長にそれまで日々時間をムダにしてきたことか。人生そんなに甘くない、還暦を過ぎてはや3年、きょうの状況とあすの状況が変わっているということもありうる。よしんば自分は無事でも家族の誰かが。
 
 この7年間、友の何たるやを考えてきたが、そろそろ結論を出す時期がきたようだ。いまさらとも思うけれど、そしてまた、だったらどうなのという気持ちがないわけのものでもないけれど、ま、それはそれとして。
つい最近、家内は行動を共にしたポートピア’81・ダイエー館の仲間2名にDVDを郵送した。DVDの中身は1981年7月、日本テレビ系で放送された11PM「ポートピア・コンパニオン歌合戦」である。録画したのは家内の弟。録画ビデオは家内が出演した番組のほとんどで、記念式典、ニュース、バラエティ、閉会式など多数・多岐におよぶ。
 
 当時、乾浩明氏が担当していた朝日放送のプラスα(1981年1月7日、ポートピア博開催72日前、ポートピア会場建築現場・生中継)では、乾さんと局アナの松本佳代子さん、特に乾さんが絶妙の舌さばきで各パビリオンに所属するコンパニオンの緊張をほぐそうとする。笑福亭鶴瓶は何をしていいのかわからずウロウロするだけ。コンパニオンにウケ狙いのギャグを発していたが、まったくウケない。駆け出しだったのだ。
 
 あの状況でホントにウケたりして、うっかり笑いでもしようものなら、必死で覚えたセリフを忘れたでしょう。そうならないよう乾さんは鶴瓶のちょっかいを軽やかに制した。コンパニオンが両手で持つパビリオン紹介のパネルの裏にはセリフが記されており、それをちらちら見ていたコンパニオンもいたが、おおむねスラスラ言えていた。ただ、テレビ初出演の緊張と寒さのなか、顔が凍っていたコンパニオンがいたこともたしかである。
UCCのコンパニオンは言葉をひとこと発したきり何も言えなくなり、となりで乾さんが、「うん、うん、それで、うん」とか言ってフォローしていたけれど、コンパニオンのアタマは真っ白、どうしても次の文句がでてこない。それで乾さんと松本アナがUCCパビリオンに関する平易な質問にきりかえた。するとどうだろう、彼女はにこやかに質問に答えていった。名司会者のアドリブはかくのごとし。
 
 11PMの歌合戦は、選出されたパビリオン6館(川崎製鉄、サントリー、サンヨー、第一勧銀グループ、ダイエー、ポートピア博協会)からそれぞれのコンパニオン2名が海か港に関連のある歌を競い合った。歌唱力だけでなく、というより歌唱力はあまり重視されず、衣装や雰囲気、各応援団の熱気などが審査対象とされた。
ダイエーパビリオンからはT・ひとみさん、H・カズヨさんが出場し、Hさんは「涙の連絡船」を、Tさんは「魅せられて」を歌った。前述のDVDはこのときの模様を録画したものである。
 
 千葉県在住のHさんは1月15日大阪心斎橋の日本料理店でおこなわれた同窓会に欠席したが、東京在住のTさんは出席していた。家内はTさんと席がはなれていた。仕事以外で行動を共にする機会もあったから話したかったのだけれど、勝手に席を移動するわけにもいかず二次会を待つしかなかった。
ところが二次会の席も遠かった。ふたことみこと言葉を交わすのが関の山、T・ひとみさんは航空機の出発時間がせまっていたこともあって帰路についた。だが、おたがいの気持ちは言葉の響きでわかる。相手の名を呼ぶだけでも、そのとき込められた万感の思い。
 
 家内がT・ひとみさんにDVDを普通郵便で送ったのは3月1日。3日(土)のおひなまつりに届けばと思ってのことだ。そして3日に届いた。Tさんからのお礼状が届いたのは3月6日(火)。Tさんの迅速な対応に喜びと驚きが入り混じった状態で家内は手紙の封を切った。
映像をみたTさんの脳裡にさまざまな追懐が矢つぎばやにうかんだものと思われる。映像は遠い過去のものであるとして、追体験は現下のものである。Tさんが家内の手紙の行間を読んだように家内もTさんの手紙の行間を読んだ。双方の手紙は肉筆。目が手紙を読むのではない、感性が読むのである。
 
 T・ひとみさんと家内の共通の気持ちは、ほとんど話できなかったことが心残りであったこと、記憶に埋もれていた多くのことが映像をみてよみがえり感慨にふけったこと、あのころの楽しく輝かしい時間を一緒に過ごした人たちはかけがえがないということだった。
心の風景は、ある局面、ある部分で感性が共鳴し、一致をみいだすことによって忽然とあらわれる。T・ひとみさんの手紙を読んでくれた家内の気持ちはほぼTさんの気持ちと一致して いたのではなかったろうか。家内の目は手紙にそそがれながら同時に遠くをみていた。
 
 
 遠くのほうに朗らかで気高い何かがみえた。私たちの感性は遠くをみることによって培われる。遠い過去をみて、遠くに去ったことを追体験して、置き去りにしたものに気づくことによって感性はみがかれるのだろう。
近いところだけみていても現在はみえてこない。現在は間近にあるからだ。友は遠くをみる感性を有している。それはある種の慈しみでもあるだろう。生涯に数度、感性の一致をみる喜び。そのために私たちは生かされているのかもしれない。
 
 


前頁 目次 次頁