Feb. 10,2012 Fri    御宿かわせみ
 
 前々から泊まってみたいと考えていた宿である。宿の前にはきれいな小川が流れ、部屋からせせらぎの音がかすかにきこえる。洋館であれば瀟洒というべきかもしれないが、純和風なので古風といったほうが的確な旅籠。ほどよい若さの女将の名は「るい」、ほかに嘉助というしっかり者の番頭、女中頭のお吉が女将を支えている。
 
 かわせみに出入りするのは神林東吾、東吾の親友・畝源三郎、岡っ引きの長助。東吾とるいは幼なじみである。東吾の兄で吟味方与力の神林通之進は出入りせず、東吾を蔭で支える。御宿かわせみの関係者は情に篤く、控えめででしゃばらない。毎回、「ばかばっかし」と言う。ただし一回しか言わない。
 
 るい役はかつて真野響子、沢口靖子などが演じてきた。しかし「かわせみ」に泊まってみたいとは思わなかった。真野の女将はしっとり感が不足していたし、沢口は風格が足りなかった。着物も似合うものと似合わないものとがはっきりしていた。
 
 衣装係に審美眼や選択眼がなかったとか着付けがよくなかったというより、女優二人の役のハラと所作が未熟であった。着物は着付けも大事だが、それ以上に時代のハラと性根、所作によって名演かそうでないかが決まる。
演者は役(作中人物)が置かれている状況、境遇を把握し、自然体で演じねばならない。高島礼子の「るい」は時代のハラを持ち、難しそうな色柄の着物、帯を着こなしていた。
 
 東吾役の中村橋之助と通之進役の草刈正雄は「真田太平記」(1985−86)で共演している。草刈正雄は真田幸村をやった。こんにちの時代劇役者草刈正雄をつくったのは「真田太平記」であるといっても過言ではない。丹波哲郎が真田昌幸、渡瀬恒彦が幸村の兄真田信之をやった。
 
 真田太平記には遙くららと范文雀も忍びの者(草)として出ており、女優二人の役柄は蔭に咲く花であり、表舞台に登場しない身であっても、花のこころをうまく表現していた。色は隠そうとするから出る。当時、遥くらら30歳、范文雀37歳、私生活、ドラマの世界ともにストイックといって差し支えなかったろう。そういう女優が少なくなった。
 
 真田太平記の10年後、「とおりゃんせ」というドラマがあった。木戸番小屋に住む夫婦を神田正輝、池上季実子、夫婦の年上の友を大木実が好演した。大木実の場合は江戸からNHKのスタジオに抜け出てきたのであろう。
 
 「とおりゃんせ」の木戸番はダイコンというほかなかった神田正輝唯一の当たり役である。必要なときをのぞいて固く口を閉ざしているのだが、役のハラをしっかりつかまえていた。目はクチほどにモノをいい、古の罪は長い影を落とす。人情時代劇はその後「柳橋慕情」をへて「御宿かわせみ」へとつながってゆく。
 
 御宿かわせみは第一章(2003年4月ー5月)、第二章(2004年4月ー7月)、第三章(2005年5月ー8月)とあるが、第三章が図抜けていい。長助役・蛍雪次朗のせりふ回しと間、岡っ引きはさもありなんと感じさせる動と静のたたずまいはこの役者ならでは。源三郎は沢村一樹より宍戸開(第一章&第二章)のほうが合っていた。脚本に工夫があり、演者にも工夫がある。放送時間42分に凝縮された人情劇。
 
 第三章最終回「祝言」(2005年8月5日放送)の草刈正雄は秀逸。
るいを演って無類の高島礼子は「義経」(2005年)で常磐を演った稲森いずみ同様、すがた、かたち、せりふがととのっているだけでなく、思い入れと気合いにあふれ、しかも高島礼子の面(おもて)には憂いだけでなく泥眼が宿っている。るいは高島礼子生涯の当たり役なのだ。特に第三章「秋色佃島」、「春の寺」では思いの丈を表情のみであらわした。
 
 御宿かわせみに前々から泊まってみたかったのは登場人物の秀逸さもさることながら、人間が身を隠すことのできる東京より、隠すことのできない、あるいは、その必要のない江戸の風情、人情への憧憬があるからなのかもしれない。

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