Jan. 18,2012 Wed    ポートピア’81 ダイエー館同窓会(1)
 
 長い年月だった。そう思うに十分な30年余が過ぎていた。
小さな世界にはおためごかしもまやかしも虚言も要らない。後ろ向きとか気乗りがしないとかで欠席するのはしかたない。誰にでもそういうことはあるし、懐かしくてもず〜と後ろ向きということもあるだろう。来たいときに来られる人が来ればいい。幹事に適当な理由を言ってごまかすくらいなら本当のところを述べるほうがすっきりしている。
 
 1月15日(日)、久しぶりに家内の同窓会が心斎橋の日本料理店でおこなわれた。これまで3〜4年に一度京阪神で開催されてきたが、家内は同窓会スタート時の出席は別として長患いのため欠席していた。
今回の同窓会はいつもとちがった。ポートピア’81の参加企業ダイエーから業務委託をうけた広告代理店「大広」のスタッフが全員出席。「大広」の最年長は80歳で、70代半ばの女性も。最年少は58歳。だが年齢だけをいえば、ポートピア81・ダイエー館・館長Kさんは85歳。コンパニオンはさすがに若く、当時バリバリの女子大生だったAさんが最年少の51歳で、最年長は家内。出席した元コンパニオン13名のうち都内から2名、徳島から1名、北九州から1名。
 
 家内のほかにOさんとSさんの3人が総勢24名のコンパニオンのリーダーだった。奇しくもその3人は部署は異なったがN航空勤務経験があり、接客に関して一日の長のあったこと、ピチピチの21名に比べて20代後半(採用当時)のお姉さんであったことからリーダーに選ばれたのだろう。Oママと呼ばれ皆から慕われていたOさんは既婚者であり、二児の母だった。
 
 消息不明ほかの数名を除く元コンパニオン15名が出席する予定だった。が、内2名が欠席しコンパニオン13名と企業サイドOB6名の計19名が出席した。大病を患った75歳のOBは「5年先はいないかもしれないので、来年開いてもらいたい」と述べ、85歳の元館長は「1月は寒いから5月か10月にやってほしい」と発言。 
 
 1981年3月から9月の半年間、待ち時間5〜8時間(最長10時間半)の超人気ダイエーパビリオンの演しものはオムニマックス。70mmシネラマサイズの3倍という特大の天井スクリーンに映像が映し出されたときは毎回どよめきが上がった。地球一周19分の旅の音楽担当は松岡直也、監修は浅井慎平。大広スタッフの一人Nさんはオムニマックス撮影地選びのためパラオで取材。アフリカのサバンナ、マッターホルン、グランドキャニオンなどオムニマックスの映像は子ども百人委員会で希望の多かったものを参考にしたようだ。
 
 皇太子殿下と美智子妃が評判をお聞きになられ、宮内庁がダイエーにオムニマックス鑑賞を依頼してきた。ダイエー館長Kさんは、宮内庁サイドの申し出(その回にかぎりダイエーパビリオンを貸し切りたい)を断った。1回でも上映を貸し切りにすれば外で長い時間を待っているお客に申し訳ないというのが理由であった。
 
 コンパニオンは皇太子ご夫妻のオムニマックス見学の噂は知っていたが、皇太子ご夫妻の予定が取りやめになった理由は知らなかった。その理由がポートピア博から31年後の1月15日、初めて明かされたのである。前述のSさんは同窓会に出席しなかったので真相を知らない。
 
 同窓会席上、「長いあいだ病気に苦しんできましたが、やっと出席できました。ダイエー館を見ずしてポートピア81を語ることなかれとまでいわれ、半ば伝説化したパビリオンで、みなさんと共に仕事をさせていただけたことを誇りに思います。(病気をしていなければ)もっと前に同窓会に来たかったです。」と挨拶した元コンパニオンがいる。
30年は瞬時である。しかし一方、誇りと思うにいたるまで長い時間がかかるのだ。当時、リーダーの一人だったOさんがその場にいたら涙していたろう。ポートピア博最終日、オムニマックス最後の上映時、Oさんは説明途中で声をつまらせた。目にいっぱいの涙が浮かんだ。
 
 10年ほど前、Oさんは重い病にかかり逝去された。落花枝に帰らずという。季節はめぐり、人はめぐり、とどまることはない。それでも同窓会にいるべきはずの人がいないのは寂しい。
人生で報われることは少なく、過去がなければ現在もない。なつかしさは忘れたころにやってくる。同窓会はまことに小さな世界であり、現在どのような暮らし向きをしていようが、会いたい、あるいは、会わねばならないという気持ちがほかの気持ちに勝つ。同窓会に出席する理由はそこにあってほかにない。  

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