Nov. 05,2011 Sat    ダシの話
 
 思ったことをそのまま書くと、そうは思っていない御仁から反発を買うことがある。食は歌舞と同じ、人それぞれ好みの分かれるところ多く、自分自身の眼や舌に評価をゆだねるのが妥当。
 
 昭和56年(1981)から平成5年(1993)、大阪の某ホテル「なだ万」で月例晩餐会をやっていたころの話。
通い始めたころの花板は中村孝明だったが、ある日、椀物を食していたら仲居頭が耳元で「お味どうどすか。変わったとお感じやした?」と言った。聞かれるまでもなく味は微妙に変化していた。「花板さん、休みなの?」と応じると、「シンガポール店に行きまして」といい、「なんや、わけのわからへんことで、突然」と続けた。
 
 当時の中村孝明は職人気質そのものといってもいいような料理人で、仲居頭がムリヤリ厨房から連れてきたのであろう、私たち8名の前に出てきてムニャムニャと挨拶した。
そのときの苦虫をふみつぶしたような顔は、誤解を恐れずいえば滑稽でさえあった。オレは来たくなかったと顔に書いてあるのだ。ところが、苦虫をふみつぶしても中村孝明は憎めない顔をしていた。
 
 そのころの中村孝明は体型もスリムで威勢もよかった。小柄で顔の造作もパッとしない五十がらみの仲居頭は、威勢とはひと味ちがう貫禄と威厳十分の人なのである。1980年代前半、「なだ万」で一番偉いのは仲居頭であり、彼女から学ぶことのいかに多かったことか。
 
 孝明さんの椀物のダシはかつお節ではなくまぐろ節を使っていたはずである。かつお節にはない清冽な黄金色と透明感、品のよさでそう思えた。とにかく絶品というほかなかった。
かつお節はまぐろ節よりコクはあっても、まぐろ節特有のクチの中の広がり感、深み、やさしさ、ふくよかさに欠ける。並のスコッチ・ウィスキーと年代物のスコッチの違いである。
 
 しかし、まぐろの削り節を使っていたのは椀物だけで、煮物はかつお節とまぐろ節を混ぜて(比率は煮物によっても季節によっても異なる)、炊き込みご飯はかつお節のみと思われる(正確にはまぐろやかつおの削り節プラスだし昆布)。いずれにしても削り節の量を惜しんでいてはダメで、大量に鍋に入れなければダシは出ない。
 
 関西ではうどんダシにさば節を使う。かつお節より廉価で、出汁(ダシ)がよく出るからだ。醤油もうすくち、50年前からいわれているように、そこが関東の真っ黒な濃いくちのうどんとは違う。関西圏と首都圏の違いはダシの違いでもあり、イタリア料理とドイツ料理の違いほどにかけ離れている。
 
 料理は別として、魚に限れば各地漁港から首都圏へ出荷される魚類もあり、どうにか糊口をしのいでいる、が、ジャガイモのほかにドイツにうまいものなしの類である。ダシにお金をかける文化は首都圏の家庭料理に存在しない。
 
 いつだったか、環境相をやったことのある自民党の代議士夫人と関西で会ったおり(彼女は道央出身)、北海道産のジャガイモの話(小生は道央と道東で暮らし、洞爺湖周辺や岩見沢近辺のジャガイモのうまさを知っている)から料理の話になり、北海道生まれでもない小生が道産農産物に詳しいのを揶揄するかのように、「東京の料理をバカにしてるでしょう」と言い、小生は「ああ、バカにしてるよ」と応じた記憶がある。
 
 インド旅行の友の一人である代議士夫人は旅の途上、列車のコンパートメントで「庭園班OB会・思い出す人々」2006年11月に記した「いもうと」KSさんと共にアフガニスタンの話に耳を傾けた人である。
 
 代議士が環境大臣をやっていたころの環境省事務次官は西尾哲茂君、大阪ミナミの料亭の子息である。西尾君とは縁あって渋谷区南平台の下宿が同じだった。井上靖の著作に精通していて、飛鳥時代の豪族や王家の人々、なかでも額田王について蕩々と語っていた。
 
 昭和46年(1971)のある日、以前から西尾君の招待を受けては行けなかった目白の野村万蔵家を訪問することになった。西尾君は東京大学「狂言の会」の世話役で、当時、万蔵家の舞台稽古をみるのが月例会だった。古美研同期の大村真理子さんに打診したら「うん」ということで一緒に行ったのだが、西尾君は後日こんなことを言っていた。「大村さんという人、額田王のようだ」。
 
 これも1971年だったと思うが、国産スポーツカーというふれこみでそのころ人気の高かったトヨタ2000GTと日産フェアレディZのスタイルについて額田王は次のようなコメントを残している。「フェアレディってスリッパみたいだし、2000GTはヒキガエルにみえるよ」。言い得て妙というほかない。
 
 2008年、新緑の京都で庭園班OB会は催行された。幹事はKY君であったが、OB会2日前にお身内が不幸に見舞われた。OB会前日が通夜、当日が告別式。急遽、小生に幹事役が回ってきた。1日目、2日目の手配はされていたから、役回りといっても案内役兼会費徴収係である。
 
 2日目の朝、KY君は無隣庵隣の老舗料亭の朝がゆを予約していた。高岡から駆けつけたHN君が心配そうに「おかゆだけですか?」と小生に聞いた。朝がゆのパンフレットを郵送したのだがロクに見ていないのである。「いや、ほかにも出るから」というほかなかった。
 
 HN君の食べっぷりは誰よりもよかった。食べ終わって外に出たら思いの外、食べものの話になった。何がうまかったかとか、何が一番高そうだったかとか。誰かがアワビでしょうと言った。その場にいた人たちは賛意を示しうなずいた。
 
 すると、「アワビは内国産じゃないよ。台湾かどこかから来たと思う。たぶん一番高いのはダシ昆布でしょう。この料亭は代々ダシをとるのに利尻ではなく礼文の香深昆布を使っているから」と誰かが云う。
そのときのアワビはもう出なくなった。料金据え置きで品数を減らしたのだ。アワビどころか、アワビほかの料理の付いた二の膳が消滅した。老舗にあるまじき行いと思うが、ミシュランは三つ星をつけている。
 
 それはさておき昆布である。乾いた香深昆布を何年もむしろにくるんで寝かせ、熟成し甘味が出たのを香深の昆布店から仕入れ、椀物、煮物のダシにしているのだ。この昆布が高い。
中村孝明も「なだ万」にいるころ、昆布は寝かせた利尻ものや香深ものを使っていた。料理酒は大関である。京都の料亭は月桂冠というわけのものでもないがどうだろう。中村孝明は独立して都内、横浜などで創作日本料理店を経営している。あのころのまぐろ節と昆布を使ってダシをとっているだろうか。そうなら料理はけっこうな金額になっている。

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