Oct. 14,2011 Fri    「ガンとともに生きる」
 
 あれはいつだったか、2003年7月、「幕間」のBook Reviewに「夢の終わり」の書評を書いて数年後、訳者の持田鋼一郎氏からメールをいただいたのは。最近、再び持田さんからメールを受け取った。持田さんはわたしたちの先輩で、1961−64年に学館の27号室(短歌会&詩人会)に出入りしていたという。
 
 名訳「夢の終わり」は「孤島」(J・グルニエ著 井上究一郎訳)を彷彿とさせる。
持田さんの勧めもあって、氏が翻訳したゲール・E・メーヨーの「生きてこそ輝く」と「ガンとともに生きる」を2009年1月に購入し読ませていただいた。
 
 メーヨーの著書はどれも甲乙つけがたい。再読して、書評は「生きてこそ輝く」より「ガンとともに生きる」を優先すべきと考えた。訳出のうまさは「ガンとともに生きる」に、読み物としてのおもしろさは「生きてこそ輝く」に軍配があがるように思えた。
 
 「ガンとともに生きる」はメーヨーの闘病生活というよりは、数々の旅、友人、著名人との交流、出会い、結婚、別れに多くが割かれ、病気について書き記された部分はむしろ少ない。それゆえ病魔は重くのしかかり、ガンにふれた箇所は秋霜烈日のインパクトがある。著者は読者の心を捉えて離さない。
 
 辛いからこそ楽しかったときへの感懐は深い。事情を知る者は淡雪と思うこともあるが、メーヨーの書きようは、時としてかぐわしい匂いのする花であり、谷間をわたる風である。そしてメーヨーの生き方は大地にすっくと立つ果樹なのだ。得体の知れぬものに対して毅然と臨み、懊悩の多くはベッドの下に隠した。
 
 「50年代から60年代にかけてのパリが心をとかすような魅力があった」時代にメーヨーは写真家カルティエ・ブレッソンのゴーストライターもつとめた。その焼き直しが「こころの眼」(いちおうブレッソン著)でなければよいが。写真家の感性と文章力は必ずしも両立しない。
 
 出会いも結婚も、他人のことはつまらないとは云わぬまでも深刻ではない。他人の結婚や再会について書いてもおもしろくはないだろう。メーヨーも例外ではなく、自らのことを書くから生き生きした、極上の文章になる。
そう思ってみるのだが、「ガンとともに生きる」についていえば、訳者は著者と長い日々を共に過ごしたことがあるかのような訳出で、それはあたかも著者と訳者の魂が響き合い、ふれ合ったかのごとし。名訳とはそういうものなのか。
 
 持田さんからのメールが初めて届いたとき、私はなりすましかもしれないと疑った。以前、なりすましにひっかかった経験があるからだ。なりすまし被害にあって、「夢の終わり」の訳者が一介のホームページ管理人にメールを送ってくるのも妙で、極上ワイン「夢の終わり」を飲み、いい按配になった酔っ払いが、なりすましに酔いを覚まされ落胆するのも癪だと思うに至った。
 
 読者はみなそうなのかもしれないが、名著に感性を試される。再読してなおさしたる何かを感じなければそれまで、名著はそっぽを向く。著者、あるいは訳者の目を意識すると、戦慄にも似た緊張が走り、これはといった書評を書けないと忸怩たる思いに陥ることもある。書いてもゴミ箱行きはまちがいない。
 
 なりすましなどと失礼なメールを送信した小生の言い訳はともかくとして、雑事にかまけて忘れては思い出すのくりかえしだった。が、再読してやっと書く気になった。読み上げたときのえもいわれぬ気持ちは言葉にあらわしがたい。
「夢の終わり」は特にそうだったが、「ガンとともに生きる」も何かが皮膚から直に血管のすみずみまで浸透し、たえなる感覚にみたされた。「孤島」以来、数十年ぶりである。
 
 
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