Oct. 07,2011 Fri    アルバ公爵夫人
 
 あれは1992年3月であったか、NHKのプライム10・歴史紀行で「スペイン大貴族アルバ家」なる番組をみた記憶がある。アルバ家について一通り説明した後、カメラはもっぱらアルバ公爵夫人の日常を追った。
当時60代半ばの夫人はイタリアの小型車フィアットをきびきびと運転し、町中の狭い路地を縦横無尽に駆け回り、洋品店や食料品店に寄っては庶民的で気さくな一面をみせていた。
               
 アルバ公爵家の来歴は他情報サイトに譲るとして、16世紀以降のヨーロッパにおいて、並みいる諸侯のなかアルバ家はつとに有名で、21世紀のこんにち、EUで製作される歴史ドラマ・映画の回数は群を抜いて多い。
ケイト・ブランシェットがエリザベス1世をやった映画にも駐英大使として登場、時のスペイン王フェリペ2世と肩を並べるほどの権勢を保っていた。
 
 私有財産についていえば、フェリペ2世は膨大な戦費を有力な銀行家や商人から借り入れ国家財政は破綻寸前にあったが、アルバ公爵家の債務はゼロに近く、さまざまな利権から生じる財産はふくれ上がるいっぽうであった。 
 
 堀田善衛の大作「ゴヤ」全4巻のうち、第2巻に「アルバ公爵夫人登場」というサブタイトルがある。ゴヤとアルバ公爵夫人の密なる関係を示すとしても、「登場」の文字は公爵夫人の高名、そして読者の待ちに待った気持ちをあらわすサブタイトルといえよう。
 
 アルバ公爵夫妻は貴族の筆頭であり、当時、スペイン王妃と第13代アルバ公爵夫人マリア・テレーサはともに「天を戴かぬライバル関係」(堀田善衛「ゴヤ第2巻」)にあった。その模様や公爵夫人の少女時代のようすなど肉躍る筆致は省略せざるをえない。
18世紀末、ゴヤがアルバ公爵夫人像を描いた(最初の一枚は1795年。夫人33歳。二枚目=上の画像は1797年)ころのヨーロッパはフランス革命から数年、ギリシャ財政破綻の影響をこうむっている21世紀のEU諸国に較べて政治経済ともに不穏かつ深刻な状況にあった。 
 
 二枚の肖像画のうち「前者はマドリードのど真ん中、リリア宮殿と呼ばれるアルバ公爵邸のなかに、後者はニューヨークのザ・ヒスパニック・ソサイエティ・オブ・アメリカの展示場に、両方とも秘蔵されて」(ゴヤ第2巻)いるという。
肖像画を印刷物でみるかぎり、指輪のほかに宝飾品は身につけていないし、カツラもかぶっていない。一枚目の肖像画は飾り帽子もなく、白っぽいワンピース姿なのである。二枚目にしても黒衣のダンサーといってもよろしかろう。フランス革命が服飾界にも革命をもたらしたのか、あるいは自由に振る舞う夫人の、派手な衣装を廃し地味に徹したいという意思なのか。
 
 日本に先んじること百年、18世紀末〜19世紀初頭の大変革時代、しかもスペインに侵攻するナポレオン一世の靴音がそこまで聞こえてくる時代にあって、権威と財力をほしいままにしているから可能であったとしても、また、余裕があるから節約型の装いをするとしても、13代目アルバ公爵夫人の時代先取りとでもいうべき無邪気さは注目に値する。
 
 黒衣の肖像画(上)で公爵夫人が指さしてる足もとには、砂地に「Solo Goya」とだけ書き記されている。このことについては、夫人とゴヤが浅からぬ関係にあったことを示しており、堀田善衛は、耳がきこえなくなったゴヤに対し夫人が苛立って、「愛しているのはあなただけよ」と地面に書いて意思疎通をはかったのであろうといっている。
Solo Goyaは、ゴヤとの身分の違いを考えれば夫人が気まぐれに書いたもので、肖像画はあなたにしか描かせないの意かもしれないと思ったりもするのだが、ことは深刻でものものしい。
          (上の肖像画をクリックすれば1795年の一枚をみることができます。Soloは英語のOnly)
 
 その後の記述がいかにも堀田善衛らしい。夫人が指で地面に書いたとすれば、「それはもう愛の終わりの始めということになるであろう。如何に西洋人諸君が二六時中、愛しています、と言いつづけるものであったとしても、かくも露骨にSolo Goyaとは、それを書いてしまった瞬間から、いくらかずつ心が冷えて行くことは人性の自然であろう。」
夫人の人差し指と中指には指輪がはめられていて、中指には家名Alba、人差し指にはGoyaの文字が象嵌されている。拡大写真をみれば明らかである。
 
 当時の宮廷には貞潔といった概念は存在しないか、あっても有名無実で、宮廷を牛耳っていた宰相ゴドイの副官テバ伯爵は、王妃の寝屋をあたためたかと思えば、アルバ公爵夫人のお相手もしたりで、その乱脈放縦ぶりは目に余るものがあった。王妃はそのあと手当たりしだいに3人相手をかえた。
テバ伯爵から4人目にあたるゴドイが王妃の閨房に足しげくかよったことはよく知られている。ゴドイはアルバ公爵夫人とも懇ろになる。公爵夫人とゴドイの場合は阿吽の呼吸であったろう。公爵夫人と王妃の事の後先はともかく、ゴドイは夫人たちより年若である。
 
 とかく取り沙汰されたマハがアルバ公爵夫人でないことはすでに定説となっていて、この件については別稿にゆだねるが、土台、高貴なご夫人が愛人と噂される画家に裸体を描いてもらうこと自体、いくらご乱行好きなご夫人でも躊躇したようで、裸体写真を恋人に撮らせて平気なのは、あとさき考えぬノーテンキと同類だけだろう。そうした王侯貴族の姫君が過去(20世紀)にいたことは承知しているけれど。
        
 NHKのテレビ番組から19年後、アルバ公爵夫人85歳が10月5日ご結婚あそばされた。前夫二人とは死別、一人目は知らないが、二人目は年下だったと記憶している。3度目のお相手は24歳年下らしい。
時をへて、こころなしか魔女ふうに変貌した夫人、とはいえ立つ鳥跡を濁さず、息子たちに渡すものは渡して未来へ駆けていった。大富豪ならずとも余生を選ぶにはある程度の金銭的余裕が要る。
 
 生まれてくるときもひとり、死ぬときもひとりと言い放つのは簡単である。人は生まれて死ぬ、ただそれだけだと老境に入って感得するのだが、生きている間ひとりぽっちは寂しい。誕生と死いう二つの点のあいだに横たわる生は短いようで長く、始末に負えない針のむしろである。
気持ちにハリがなくなってしまうと、得体の知れぬ何かが胸のすきまに入り込み、年齢以上に老ける。富も子も支えにならず、これから30年、40年元気で生きられるものでもなし、最晩年をむかえ生活に必要なサムマネーがあって、Solo You、支えてくれる人がいるならステキです。 

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