Aug. 22,2011 Mon    人間臨終図巻

 
 きのう竹脇無我が死んだ、67歳だった。父親譲りなのか低くよくとおる声が魅力的だった。
松山政路の結婚披露宴に出席したのが竹脇無我との唯一の接点で、披露宴は森繁久弥から旦那と呼ばれていた松山英太郎が仕切ったこともあって錚々たる顔ぶれ(森繁、淡島千景=新婦の師匠、芦田伸介、三木のり平、有吉佐和子、加藤剛、山本学、田中邦衛、古今亭志ん朝、前田美波里など)、竹脇無我もこの当時(1977)30代前半、若さと相反する落ち着いた演技に定評があったが、披露宴での印象は率直にいって気難しそうな感じしか残っていない。
気難しさは時として飾り気のなさに通じる。竹脇無我と松山英太郎に共通していたのは飾り気のなさだったのかもしれない。
 
 1991年冬、松山英太郎が48歳の若さで亡くなったとき竹脇無我はそうとう衝撃をうけたとものと思われ、それは、英太郎さんが入院していた三鷹の杏林大学病院へ見舞いに行きたかったにもかかわらず一切の面会は謝絶され、むろん病名も伏せられていたことと関わっているだろう。
兄弟姉妹、医師看護師のほかに面会したのは、英太郎さんの新しいパジャマを病室に届けにいった私だけだった。甲府にいた上のお姉さんがつきっきりで看病されていた。お姉さんが丁重にお礼を述べられ、英太郎さんは心のこもったようすで「ありがとうネ」といったが、声に力はなかった。ただそれだけのことなのに、病室から通路に出ると不意に泪がこぼれた。
 
 英太郎さんと初めて会ったのは梅田コマ劇場の楽屋(政路さんの楽屋で私たちが将棋をさしていたら英太郎さんがあらわれた。英太郎さんがヘンな咳をしていたのを覚えている)で、二度目は東京プリンスホテルで催された芦田伸介の芸能生活50周年記念パーティ会場。これも英太郎さんが仕切っていた。
 
 晩年の安倍晋太郎氏とご家族も出席していた。控え室の安倍さんの大きなマスクと土色の顔から健康状態がわかった。それでも安倍さんはスピーチし、態度も笑顔もあたたかかった。私の印象ではパーティに出席した人たち(芸能界選りすぐりの面々が集まった)のなかで最も格好がよかったのは、背が高くガッシリしていて、人品骨柄申し分ない安倍晋太郎氏である。
 
 平成3年、英太郎さんは1月に、安倍さんは5月に亡くなった。英太郎さんの葬儀は1月14日午後2時、中野・宝仙寺でおこなわれた。
 
 父親の不慮の死、実像と乖離した優等生的な生き方をせざるをえないなか、生あるうちに親友・松山英太郎に会えなかったことが繊細な竹脇無我のトラウマになったのだろうか。
病名が伏せられていたこと、面会謝絶であったことは私の母の指示によるがここではふれない。ただいえることは兄・英太郎の死後、闘病中の対応への批判や苦労、苦慮のあったことはまちがいなく、にもかかわらず、松山政路はなにひとつ私たちを非難せず、以前とまったく変わらぬ姿勢で接してくれた。いま考えてもほんとうに頭が下がる。
 
 
 「人間臨終図巻」(山田風太郎著)を入手したのは上梓7年後の1993年、三島由紀夫が45歳で自決して23年の歳月が流れ、私もその年齢にさしかかってきたからではないかと思うが定かではない。山田風太郎が多摩の自宅で人間臨終図巻の構想を練っていたのは還暦をすこし過ぎた62歳ごろ、1984年あたりと思われる。
45歳で死んだ人々は三島のほかに井伊直弼、大村益次郎、二葉亭四迷、有島武郎(波多野秋子と心中)、江利チエミ、梶山季之など。
 
 人間臨終図巻には「ある晩、8時半か9時ごろ三島さんがやって来た。いつもは奥さんや子どもさんが一緒のこともあって、来ると決まって『やあ、志度君』と気さくなのだが、そのときは若い男の人と二人連れで、『やあ、今晩は』と、どことなく元気がなくて顔色もさえなかった。
『先生、だいぶ疲れてますね』と言うと、『そうかね』と小さな声だった。ふだんは明るい人で、よく世間話をしたのに、その晩に限ってむっつりしておった」(志度藤雄【一料理人として】)と記されている。 (ある晩というのは自決前夜)
 
 三島由紀夫の辞世の句は次のとおり。
 
 散るをいとう世にも人にもさきがけて 散るこそ花と吹く小夜嵐
 
 この句で思い出したのは細川ガラシャの辞世の句だった。お市の方とともに当代の美女と呼び名も高かったガラシャは、お市と同じ年齢で炎につつまれ壮絶な最期を遂げた。時にガラシャ36歳。
 
 散りぬべき時を知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ
 
 
 昨夜、久しぶりに人間臨終図巻を拾い読みした。
48歳で死んだのは、聖徳太子、上杉謙信、渡辺崋山、大久保利通、三木清、寺山修司など。62歳で死んだのは玄奘三蔵、荻生徂徠、浅沼稲次郎、椎名麟三、森雅之など。森雅之は有島武郎の長男である。63歳で死んだのは平清盛、徳川綱吉、乃木希典、豊田佐吉、野口雨情など。生き方はさまざまであるとして、死に方もさまざまだ。
 
 67歳で死んだのは、レオナルド・ダ・ヴィンチ、松永弾正、蕪村、アダム・スミス、A・デュマ(大デュマ)、福沢諭吉、P・セザンヌ、岡本綺堂、河上肇、河野一郎、イングリッド・バーグマン、安倍晋太郎などである。

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