Jun. 03,2011 Fri    木星が風に揺れていた
 
 チェ・ジウは稀有の役者である。類まれな透明感、愛らしさは2010年1月3日の「あの日に帰る」に記した。「冬のソナタ」でペ・ヨンジュンを、「天国の階段」でクォン・サンウを一躍スターにしたのはチェ・ジウだ。チェ・ジウと共演した彼らの演技は演技を超える自然体で、これはチェ・ジウから学んだと思われる。
共演者からみてチェ・ジウほど芝居しやすい相手はいないだろう。芝居しながらやさしく受けとめ支えてくれる。心が必要としているものは何でも与え、包み込んでくれる。しかも行儀のよさ、潔さは天下一品。そんな恋人がいたら一発でノックアウト。チェ・ジウは共演者のプラスαを引き出す天才である。
 
 片時も離れたくない女性がいるとすれば間違いなくチェ・ジウはそういう女性の一人である。最初で最後の当たり役といってもいいすぎでない高みに男優を連れてゆく摩訶不思議な能力というか、魅力をそなえているのだ。彼らがそこに来るのをいつまでも待っているような雰囲気と純朴に胸打たれる。
人は結局、記憶を失おうが生まれかわろうが同じ人間を愛してしまう。苦しみは避けようとして避けられないところから生じる。記憶が失われれば苦しみもどれだけ軽くなることか。この世は取りもどすほうがいいものと取りもどさないほうがいいものとに分かれる。時も記憶も失われたままでいい。失われた時を求めることのむなしさ。M・プルーストは何を考えていたのやら。
 
 家内は以前ブルーレイディスクにダビングした「天国の階段」(全22回)を再びみている。私はドアを開けたままパソコンに向かっている。テレビ映像をみなくてもチェ・ジウのセリフ(韓国語)が容赦なく耳に入ってくる。字幕をみないから意味はわからないけれど伝わってくる。真摯といえばこれほどの真摯はなく、切ないといえばこれほどの切なさはない。
 
 それでよかったのかと自問せざるをえないような行動を、間違ったとしても乗りきらなければと思ったことの無意味さを、いま愛している人を救えなかったことへの悔恨を、生きることのはかなさを、チェ・ジウは痛いほど感じさせる。生きることは泪の河を渉ることなのだ。
 
 昨年11月、兵庫県佐用町の西はりま天文台で木星を観察した。空は満天の星、木星が風に揺れていた。月の山々を越え、影の谷を通ってきたはずの人生でも、リゴレットのように神の手から離れた稲妻に打ちのめされることはある。
地球から天体を観測したとき、太陽、月、金星に次いで4番目に明るい星が木星。都市部においても肉眼ではっきりみえる。古代から信仰の対象であったが、風に揺れる木星は明るく涼やかなのにあたたかく感じる。チェ・ジウは木星のようだ。
 
 天国の階段でチェ・ジウの義兄テファを演じたシン・ヒョンジュン。テファ役は生涯の当たり役である。この先何度ドラマに出てもテファを凌ぐ役も演技もめぐってこないだろう。最期まで木星を見守ったシン・ヒョンジュンは実在のテファにほかならない、そう思わせる何かを持っている。
 
 
 左上の画像は西はりま天文台が撮影した木星です。天体望遠鏡で観察した木星はこのようにみえます

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