Jan. 29,2011 Sat    ホテルフジタ京都

 
 1970年2月にオープンした「ホテルフジタ京都」が昨日(1月28日)41年の歴史に幕を閉じた。東京オリンピック(1964)を契機に都心で収容力の整ったホテルが開業したように、関西でも万博(1970)と歩調を合わせて何軒かのホテルが店開きした。フジタ京都の客室は189室と多くはないが、JR京都駅から離れ、鴨川べりの部屋からの見晴らし、特に大文字焼きを室内から見物できるというロケーションは、何かと規制のやかましい京都市(条例で美観が保たれている地区は多い)にあって宿泊に値する宿であった。
 
 底冷えする冬、上洛してフジタに泊まる楽しみの一つは、二条橋をわたってすぐ「加藤順」という漬物屋の千枚漬けを買うことで(関西在住の人は日帰りで買いにくる)、かつては京都撮影に来る漬物好きの俳優に知られていたが、「加藤順」先代が亡くなった後、味が落ちた(上質の昆布をたっぷり使わなくなった)せいか凋落の一途をたどっている。
それでも他店の千枚漬けに較べて味・質にまさっているのは、よそがコスト削減・大量生産で品質維持に情熱をそそがないからだろう。加藤順のことは画像右の女性の師匠・淡島千景をへて1970年代に入手した。
 
 フジタ京都には二度泊まったきり長いあいだ宿泊する機会を逸していたけれど、2008年5月、庭園班OB会が京都で開催されたおり、主だったOBとともに投宿した。二次会はB1Fのバー「石水」。宴会前、南禅寺金地院からフジタにもどって一杯交わしたラウンジ「せせらぎ」で、鴨川上空を舞う鳥(カモメ、コサギほか)の多さに目を丸くした女人のいたような記憶もある。2007年3月、京・大和プチ合宿のさいフジタ京都にひとり泊まった元チーフがいたような気もする。
 
 フジタは往年の映画俳優や歌舞伎役者の定宿でもあった。勝新太郎、石原裕次郎、鴨川をまっすぐ下った四条大橋のたもと・南座に出演する歌舞伎役者がフジタを利用した。古き良き時代だった。
 
 OB会で思い出すのは嵐亭。昨年1月から解体・新築工事に入って休業中。新装オープン時にご案内しますと言っていた従業員から連絡がないので、まだ工事中なのだろう。嵐山・嵯峨野方面へもここ一年ご無沙汰である。そして嵐亭といえば、ここを定宿としていた舟橋聖一。NHK最初の大河ドラマ「花の生涯」(1963年。「はなのしょうがい」を変換したら「鼻の障害」と出た)に出演した宝塚歌劇出身の演技派女優と、初老というには若々しかったイケメン作家・舟橋聖一との深いなじみは、嵐山の静閑、木立におおわれた嵐亭の幽深に寄り添うがごとく重ねられたもののようである。
 
 
 フジタ開業時は貫禄があるのに物腰やわらか、みるからに信頼できそうなベルキャプテンがいて、英国の古いホテルにみられるような壮麗さ、接客態度の良さでホテルの玄関を彩っていた。2000年あたりまで面目は保たれていたが、そこからがいけません。
壮麗は不景気と共に少しずつ影を落とし、OB会時に泊まった2008年、ベルキャプテンは行方不明、レセプション(フロント)のスタッフの応対は稚拙、昔の面影はなく、ベルボーイ(女性の)とバー「石水」のスタッフのみ接客態度にすぐれ、栄華の片鱗をしのばせた。が、フジタ京都は評にかかるだけマシ、評にかからないホテルは無数にある。フジタグループのフォーシーズンズホテル椿山荘のスタッフは開業以来アカ抜けしないのはしかたないとして、十数年間でスタッフの質が劣化した。
 
 高くていいのはあたりまえ、昨今は高くてよくないのがあたりまえ。室料がバカ高いからスタッフの質もよいと思ったら大間違い。客を魅了し満足させるホテルが激減した。大小富豪の財布のひもが固くなったのは長びく不況のせいだけではなく、かける金銭に見合うホテルマンの質が低下しすぎたからだ。ホテルサービスの四原則は迅速、誠実、安心、快適であってみれば、人的サービスこそが最高位。料金以上のステキなもてなしを求めるなら英国のB&Bに泊まるしかない。
 
 中国資本がさらに流入するであろう近未来、質は流入量に反比例して低下する。現に中国人観光客&チャイナ法人御用達ホテルの惨状は目もあてられない。多くの中国人がそうであるように公共マナーを知らぬ成り上がりチャイニーズが総支配人とかマネージャーとかの要職を占めるようになればホテルはスラム化する。
 
 中国からの観光客は海外からの渡航者の6分の1(2009年旅行白書)だそうだが、体感的には古都で4人に1人、都市部大型家電店では2人に1人がチャイニーズ。エコポイント制度が下火となり買い控えが蔓延する東京、大阪などの大型家電店では、バブルに浮き立つチャイニーズはいいお客であり、チャイナバブルがはじける日まで日本人の中国人化(自分がよければ他人はどうでもいい=極端な自己中心主義)は避けられそうにないのかもしれない。
 
      ※上の画像は1983年10月撮影 ホテルフジタ京都とは無関係です※

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