Apr. 16,2010 Fri    夜桜
 
 桜の季節に金沢を訪ねるのは初めてだった。ほぼ定宿化した金沢駅前ホテルは欧米系外国人旅行者でにぎわっていた。待ち合わせした友は海外からやって来るわけのものではなく、城下町金沢の近郊、能「安宅」でも有名な町から来るのだけれど、遠い国から会いに来てくれるような感懐に満ちていた。
 
 来てよかったと思う瞬間は、ホテルのメインエントランスから友が飄々とあらわれたときだ。一年は短いようで長い、長いようで短い。家内が「(サクラを)あと何回みられるのだろう」と思うように、この年代になれば一年先の無事息災は保証のかぎりではない。
 
 小雨そぼふるなか友に先導され、駅前からバスに乗って香林坊の一つ先のバス停で降り、犀川のほとりで満開の桜並木をみて、旧県庁、迎賓館、21世紀美術館などを経由し兼六園へ向かった。年を追うごとに芸術にも幅広く力を注いでいる金沢の人気は不況と裏腹に高まりつつあるようだ。
以前、住みたい町は札幌と記したことがある。札幌はじっさいに住んでみて(マンション暮らしは雪かき不要で暮らしよい)家内共々好きな町である。金沢も「住みたい町」の上位にランクされているとか。
 
 古い城下町の住民に共通することといえば見識が高いこと、権威に弱いことなどがあげられる。この見識の高さというのがクセモノで、目線は高く分析力は低くといった傾向もあるが、近年の金沢は変わった。
金沢が住みよい町であることは人口の増減に大きな変化のないことで諒解できる。急激に人口の増減する町にロクな町はない。
 
 【突如 話は変わり】
 昔々、梅田コマ劇場(略して梅コマ)の松山政路の楽屋でこんなことがあった。
 
 そのころ梅コマでは初日を控えた「紅梅館おとせ」(平岩弓枝作)の舞台稽古をやっており、松山政路(以下「政路さん」)の配慮で見学(客席から)させてもらった。主な演者は山田五十鈴、淡島千景、山村聡、政路さんなど。淡島千景が自分の出番のない場面で客席中央にドカっと陣取り、共演者の稽古を熱心にみていたのが印象に残っているけれど、忘れられないのはなんといっても楽屋のすき焼き。
 
 夕刻、楽屋の廊下を歩いていたら、どこからともなくいいにおいがする。政路さんの楽屋前まで来たら湯気がのぼっている。まさかと思ったらまさかで、楽屋で役者数人が寄せ鍋を囲んでいるのだ。
「やあ、Fちゃん」と政路さんが箸を片手に手を振った(Fは私の名)。
 
 どういう話でそうなったのかおぼえていないが、たぶん母に楽屋鍋の話をしたのであろう、それじゃあすき焼きの差し入れをしようということになった。鍋付きで。私は忘れても家内はおぼえているようだ。
ある日楽屋をのぞいたら、政路さんの向かいにいた新人の毬谷友子が、すき焼きをほおばりながら振りむいて「どぉ〜も〜」と明るい声をだした。
 
 日ごと夜ごと人がふえ、肉と野菜の量もふえていった。家内がよくおぼえているのは、かなりの量の肉と野菜を切りさばいたからである。次の梅コマ公演、消防法がどうとかで楽屋鍋は取りやめになった。新人役者のほとんどはがっかりしたそうだ。
その後、梅コマや近鉄劇場、御園座の楽屋で将棋をさすといった関係がしばらく続いた。宝塚の母の屋敷で第三回麻雀大会(5卓20名)をやったとき、政路さんが優勝だったか準優勝だったか忘れてしまったのに、打ち上げの席で歌ってくれた「舟唄」は忘れられない。
    
    しみじみ飲めば しみじみと 想い出だけが行き過ぎる
 
 あれから何年たったろう。2008年7月、後輩の招きで博多にいた私と家内は偶然、博多座の楽屋で政路さんと再会した。「Fちゃんはいつもこうなんだから」(いきなり現れるという意味です)と政路さんは笑っていた。
HK、政路さんは心友とよぶにふさわしい。ライトアップされた夜桜が特別の食前酒であるように、会っているだけで人を癒したり酔わせたりする何かを持っている。
 


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