Jan. 03,2010 Sun    あの日に帰る(一)
 
 なにかとすっきりしない年が終わった。
リーマン・ショックの余韻さめやらぬ日本株続落と、海外投信の立ち上がりの遅さに、もう少し若かったらそうは思わなかったのかもしれないが、陰々滅々、やってられない日々が続いた。自分は怠けているくせに、経済活動だけが人間活動のすべてでもないのに、マーケットが怠けているとムっとするのは加齢のせいだろう。
 
 昨年暮れから元日、二日目、「冬のソナタ」以来のチェ・ジウにどっぷりつかった。チェ・ジウは異動で岡山市から都内に転居した知人の娘(当時高校2年生)に似ている。
その娘さんが早稲田祭をみたいというので案内してあげたが、古美研彫刻班の展示場でばったり会ったMさん(当時彫刻班チーフ)がどういうわけか不機嫌な顔をしていた。1969年11月のことだ。
 
 チェ・ジウにあって他の女優にないのは、たぐいまれな透明感、起きていても眠っていても可愛い面立ち、手をのばせば届くかもしれないと思わせる庶民性、そして憂いを帯びた目を一人で併せもつことである。
 
 秀逸なドラマには音楽も逸品が必須。
「天国の階段」(本邦初放映は2004年10月ー2005年4月のBSフジ。その後2009年6月まで5度の再放送)では、ショパン「ピアノ協奏曲第一番ホ短調 Op.11」第二楽章をイ・ソアがソロで弾いているのだが、それだけでドラマの性格がわかる。
 
 よくできたドラマの演者に共通する点は、役のハラをしっかりつかんでいること、したがって表情だけで多くを伝えうること、「セリフとセリフ&表情と表情&動と静」の間のよさ、目がうるんでいるようにきれいなことである。「チャングムの誓い」のイ・ヨンエもそうだった。
 
 天国の階段でチェ・ジウと共演した男優2人は難役を自分のニンとし、かけがえのない日々を再現した。独自の顔を生むのは演者のハラである。シン・ヒョンジュン演じるテファ(チェ・ジウの義兄役)は生涯の当たり役であり、役者生活が何年続いても、これほどの当たり役にめぐりあうことはないだろう。
 
 心に残った映画と役者を記す。
「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲーブル、「カサブランカ」のハンフリー・ボガード、「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーン、「雨月物語」の京マチ子、「祇園囃子」の木暮実千代、「女系家族」の二代目中村鴈治郎、浪花千栄子、京マチ子、「ぼんち」の市川雷蔵。
「ドクトル・ジバゴ」のオマー・シャリフ、「ひまわり」のマルチェロ・マストロヤンニ、「冬のライオン」のピーター・オトゥールとキャサリン・ヘプバーン、「大脱走」のスティーブ・マックイーン。「赤ひげ」の三船敏郎、「砂の器」の加藤嘉。「さすらいの旅路」(TV)の佐久間良子。「北の国から」(TV)の大友柳太朗。「シャツの店」(TV)の鶴田浩二。
 
 「オリエント急行殺人事件」、「検察側の証人」(テレビ映画 1982)、「続・赤毛のアン」などのウェンディ・ヒラー。実年齢をかなり上回る老け役が多かったヒラーは、(英国人なのに)ロシア語訛りの尊大な、憎めない憎まれ役をやるときのうまさに背筋が震えた。「太陽の帝国」のクリスチャン・ベール。
「髪結いの亭主」&「列車に乗った男」のジャン・ロシュフォール。「愛を弾く女」のダニエル・オートゥイユ、「野望の階段」(TV)のイアン・リチャードソン、「フランス軍中尉の女」のメリル・ストリープ、「シラノ・ド・ベルジュラック」のジェラール・ドパルデュー、「マルセルのお城」のジュリアン・シアマーカ。
 
 「無伴奏シャコンヌ」のリシャール・ベリ、「日の名残り」のアンソニー・ホプキンス、「ブラス」のピート・ポスルスウェイト、「修道士カドフェル」(TV)のデレク・ジャコビ、「レジェンド・オブ・フォール」のブラッド・ピットとA・ホプキンス、「ダーク・ブルー」のタラ・フィッツジェラルド、「ラブ・アクチュアリー」のコリン・ファースとヒュー・グラント、「ヘヴン」のジョヴァンニ・リビシ。「花へんろ」(TV)の桃井かおり。「新花へんろ」の桃井かおりの歌のうまさにしびれた。
 
 「ボン・ヴォヤージュ」のイザベル・アジャーニ。「ゴスフォード・パーク」のヘレン・ミレンと全出演者、「画家と庭師とカンパーニュ」のジャン=ピエール・ダルッサン、「すべて彼女のために」&「シャンボンの背中」のヴァンサン・ランドン、「幸せはシャンソニア劇場から」のカド・メラッド。演者の人生と分厚いハラが映しだされ、役の顔がつくられる。名作とはそういうものだ。
 
 マルセル役の美少年ジュリアン・シアマーカ(1979年生まれ 映画当時11歳)は「マルセルの夏」と併せてたった2作品しか出演していないけれど、親友リリ役の少年とともに見事に演じた。
南仏オーバーニュのガルラバン山塊の朝夕の美しさにジュリアン・シアマーカは溶け込んで輝いている。外国映画で最も印象に残った一本をと問われれば「マルセルのお城」とこたえるだろう。
 
 うまい役者は私たちのあるべき姿と、かけがえのなさの何たるや示してくれる。その瞬間、私たちはあの日に帰るのである。あの日に帰る‥‥人類は進化の果てにそうした能力を持つにいたった、のかどうかは定かでないとして、金銭を積んで現在や未来を買うことはできても、あの日を買うことはできない。過ぎ去った日々は若さと同じ、無限の価値を持つ。
 
 あの日に帰るのは自己解放という意味合いもあるが、(雑事でがんじがらめになっている)世界から自己をしめだすことでもある。そこには誰かに理解されたいと思う自分はいない。自らの考えをあらわすことなく自己を認識できるのだ。常々気楽にふるまっていたから自分自身のなかに立てこもることができたのだというふうなエクスキューズも不要である。
 
 ※ハラ=行動をおこすときの精神的指針※
                                   (未完)

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