Jul. 28,2009 Tue    心に残るもの
 
 強い光はひらめき刻印を残すが、弱い光は臆しているかのごとく幽かにほほえむだけだ。にもかかわらず弱い光は、深い霧につつまれた森の奥を照らす月影のようだ。過ぎ去ればすべては低くたれこめる靄の彼方の光となって私たちから遠ざかってゆく。しかしその光は、北風吹き荒れる暗い野に旅人がすくむとき、雲の絶え間から射してくる月の光にも似て懐かしく、明るく感じるのである。わずかな光は散り散りに消えていってしまったが、そこに存在したのは、過剰なる者が温かさを妨げる場所にはみいだしえない人間の香りだった。
 
 ながいあいだ英国の風景はかけがえのない心の風景であると思ってきたし、いまもそう思っている。だが最近、自分のホームページにアップした英国の風景をみにいく回数と、庭園班の仲間の写っている風景をみにいく回数とが拮抗していることに気づいた。
4年前の夏であったろうか、古美研掲示板に「古美研ノートを舞台に、一つの感動のドラマを創り上げているような気がします。ドラマは続きます。」とHKが記したのは。何事もなければ享受できなかった高揚と励ましにも似た果実を、嵐山再会時と併せて二度も得た私は果報者というべきかもしれない。予想外の展開とはいえドラマも続いている。
 
 家族のほかにかけがえのないものがある。一年に一度、時を共に過ごす喜びがある。それは、一つの駅を過ぎるたびに一つの名画を手に入れるような感懐に満ちている。
仲間が宴席でくつろぎ、とりとめのない話に興じ、楽しんでいるようすをみると、心浮き立つ愉悦と解放感にみたされる。
一夜明け、仲間と別れ帰宅するころ押しよせてくる寂寞。再会と別離は共楽と寂寞に縁どられ、両者は濃密な関係をたもちながら遣る瀬なさへといざなわれる。心に残るのは、楽しい夢にでてくる風景であり、不思議なことに、寂しい夢にでてくる風景であり、わけもなく感謝したくなる風景である。
 
 夢の終わりは生涯に一度の月下氷人のようだ。楽しくても寂しくても、添い遂げても別れても心に残り、祇園精舎の鐘の声のごとく、いつ鳴りだしたか知る人もいないほど昔から鳴り続け、低く澄みきったその声は、喧擾と静謐の隙間をかけめぐり、心の城門をくだって魂の断片に時を告げる。変わりはないか、愛するものは共にいるかと。

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