Aug. 10,2008 Sun    いつか金沢で
 
 「歴史を経たものだけが美しい」とあの人がいってからどのくらい時がたったろう。時を経たものの前で人は美しさゆえに単純になれるのかもしれない。
 
 仏像や庭をみるときひとりになりたかった学生時代、私は行動をともにすべき仲間と離れていることが多かった。神仏の手を借りたかとみまごうばかりの神々しい作品も現世の人間の歓喜と苦悩のすえに生まれたように思えたし、人間が芸術を創造するかぎりにおいて、日常と隔絶したところに芸術は存在しないと考えていた。
 
 とりわけ美術は洋の東西を問わず特権階級や富裕貴族の財力、支援がなければ成り立つべくもなかったろう。時を経たこんにち、美術の多くは常に日常とつながりあい、日常のなかで生きている。
由緒正し古刹も日常と隣り合わせであり、二千日回峰行といえども生きて修行を終えた僧は娑婆と無縁でありえない。人間が日常と無縁でないなら、仏像が日常と無縁であることもないだろう。ほほえみも慈悲も厳しさも。
 
 孤高の作品と評者はいう。それは評者がそのように感じるだけで、むしろ孤独な作者の情愛を感じることもある。そうした情愛は品とおなじでつくってできるものではない。気配りとか配慮とちがい、意識してつくれるものではないからだ。
渡辺保の「舞台を観る眼」に次のような一文がある。
 
 【京都嵯峨の自宅で静かに来客を待つ仁左衛門(筆者註:十三世片岡仁左衛門)。玄関に客の気配が聞こえて、ほのかに浮かぶ微笑。また客が帰る気配を聞きながら一人座敷に残ってひっそりと手拭いを片付けている仁左衛門の顔には、さっきとは対照的になんともいえぬ寂寥となにかに耐える厳しさが浮かぶ。】
 
 仁左衛門の情愛を簡潔的確にあらわしている。(仁左衛門はすでに視力を失っていた)
どんな暮らしをしていても失われることのないゆかしい心が人の胸を打つ。日常の生き方が時を経てその人間の生きる姿を映す。そしてそれが文体となる。文体はその人の鏡であり、その人そのものなのだ。
 
 古美研時代、HKとともに京都を歩いた経験のすくなかった私は、東京を離れたあと京都を歩きながら時々HKを思い出した。HKの浪人時代、昼寝ができるといっていた正伝寺、自慢のように不思議のように語っていた徒歩の鞍馬寺。
時は流れ、私は往時よりずっと多く京都奈良をHKとともに歩いている。いつか金沢で、時を経た町で、とりとめのない話をしながら歩くのもそう遠い日ではない。

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