Feb. 23,2008 Sat    魔法の国へようこそ
 
 春の日、花になじんだ追想にふけり、友と語る男の顔は華やいでいる。老いがからだに取り憑き、こころなしか翳りはあっても、語るにつれてかぐわしい花の香りがよみがえり、往時のすがたに変わる。心が折れそうになった日々、砕けた身をいたわるほかに何もすることのない日々をすごした者にとって昔日の花は無上であり、たとえようがない。
 
 宙に花を見、めで、語る男はつねに若々しい。舞台に上がる役者がせりふを語るほどに若返ってゆくように。語るのが後悔であっても、年代物のぶどう酒をあおる甘美な表情になる。美酒を愛する者に花を愛でないことがありえようか。
無関心を装う面持ちで初対面の相手にひとことの言葉を発さなくとも、美花をみてキラリと眼の光る男はさいわいなるかな。心中に若さがみなぎっている。
 
 彼らは他者を攻めない、攻めるのは自己の構築するプランに対してである。他者への攻撃を愛ゆえといえるだろうか。子を攻める親に問うべき愛があるのだろうか。子は喪失感が高じて当たり散らすこともあり、父母は心配が高じて怒りをあらわにすることもある。心配や怒りは、攻めなくても愛を語れること、成就できることを忘れさせたり妨げたりするけれど、一時の激情に押しきられても、寝食をともにした家族ならではのおもいが愛をつたえ、常人たる自分を取りもどすのである。
だがこの世には絶えずだれかを非難攻撃しないと収まらない人間もいる。尋常ならざる心模様。疎外感という名の被害妄想。迷走と潰乱。統合失調症。
 
 波のまにまにさらわれる愛もあれば浮かぶ愛もある。人は人をおもうことによって強くなる。おもわれることによってさらに強くなる。そうではなかったろうか。古美研庭園班の面々は、仲間から若さをもらい、仲間に若さを手向けることで若さを保っているのかもしれない。仲間を気にかけ、気にかけられ、さびしさをよろこびに、むなしさを花にかえるのだ。
 
 馥郁たる香りも光る眼も持たない身が、自分でいうのもヘンではあるけれど、若さの片鱗を保っていられるのは、そこが魔法の国であるからだ。その国は、軽いことも重いことも、理解できることもできないこともひとまとめに包みこむ。永年身体に染みついた会社人間の臭いが消え、無機質な会社用語も影をひそめ、ひとりの自遊人になる。摩訶不思議なことにそこではだれもが魔法の粉をふりかけられ、昔日のすがたに還るのである。
 


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