Oct. 11,2007 Thu    ブルー
 
 入梅していたはずなのに、小糠雨も降っていたのに、妙に空気は乾いていた。人にみられるのを避けて高田馬場ではなく渋谷で待ち合わせ、山手線を原宿で降りた。明治神宮の花菖蒲をみたのはそのときが初めてだった。原宿で降りたのは花菖蒲をみるためだと知った。どこでもよかった、一緒に歩いていられるなら。
 
 鬱蒼とした森は昼なお暗く、あいにくの空模様ということもあって人影はなく、深閑たる大樹の下を、人目を忍ぶ必要もないのに、一本の傘に隠れるように歩いた。すこしでも身体を寄せ合っていたかったのかもしれない。御苑に入ってからも私たちのほかにだれもいなかった。口には出さなかったが、私たちのための花舞台をつくってくれたのだと互いに思った。夢中だった。時を惜しむように逢った。一日に何度でも逢いたかった。いまも花菖蒲の青紫をあざやかに思い出す。
 
 ブルーの似合う人だった。昭和43年春、甲府と塩山で新入生歓迎旅行がおこなわれたとき着用していたスウェードのジャケットの色も青だった。黄緑やオレンジも好きであったと記憶しているし、そうした色にも負けない明るさと前向きな姿勢はあったが、ブルーがいちばん似合った。ブルーはどこかしら寂しげな色で、私たちを惹き合わせた色なのかもしれない。
 
 原宿にはもう一つ欠かせない思い出がある。母が上京し、晩餐にHKをさそったのが「南国酒家」という中華料理レストランで、原宿駅から近かった。三人で談笑したあと、母がHKにポツリといった。「Hくん、F(私の名)のことよろしくお願いします」と。後にも先にも母がそんなことをいったことはない、唯一、HKに対してだけである。
 
 太宰治の「女生徒」を読み、彼女が女性徒にそっくりとHKにいったらば、HKは彼女に伝え、「女生徒にそっくりなんですってね」とその人がいい、それがきっかけで、あるいはきっかけのふりをして、「豊饒の海・春の雪」を彼女に貸し、または彼女が借りるのを望み、貸し出し中に著者が割腹自殺を遂げた。昭和45年11月だった。
思わぬ展開は未来を暗示していたが、一時の航海であるにせよ、私たちは同じ船に乗って出帆することを望んだ。お互いがお互いを必要としていたのである。
 
 Mさんを忘れられないようにHKを忘れることはない。HKを忘れられないようにMさんを忘れることはない。HKにブルーのジャケットが似合うとは思わないけれど、彼の色はブルーなのだ。
2007年初夏、前年11月にモデルチェンジされた国産車が歩道橋の下をゆっくり走っていた。車の色はストラフィア・ブルー。Stratosphereは成層圏の意だが、ストラトスフィアではいいにくいので、メーカーがストラフィアにしたそうである。成層圏ブルー。その色を歩道橋からみた瞬間、Mさんのジャケットの色がよみがえった。明治神宮の花菖蒲から36年がすぎていた。

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