Jul. 17,2007 Tue    祇園精舎の鐘の声
 
 あれはいつであったか、初めて平家物語の冒頭を読んで胸のざわめきをおぼえたのは。森羅万象は滅してゆくものと、それをながめるものとがいて、ながめるものもいつかは滅する。だが同時に、森羅万象には滅さない存在もある。創造物たる人間の心は滅びゆくことはない。神は人の心に宿り給う。
 
 しかし、そのようなことを考えたのはずっと後のことだ。一読して感じたのはあの美文調と、聞こえもしないのに聞こえてくる鐘の音で、その音は遠い彼方から聞こえてくるようにも思えたが、自分のなかから聞こえてくるように感じることもあった。
それは想像のインドともいうべきものであり、そのときはじめてインドを身近に感じた。いつか必ずインドへ行こう、沙羅双樹をこの目で見、響いてやまぬ不思議な音を確かめよう。
 
 インドとの出会いの前に能、文楽、歌舞伎との出会いがあった。世阿弥、二世竹田出雲、並木宗輔(千柳)の創造した平家物語の世界に、思いもよらなかった情と花を見いだした。
「忠度」の風雅、「実盛」の魂の救済、「敦盛」の哀感。それらに共通しているのは源平盛衰の修羅ではなく、この世の花である。平家物語に題材を得た世阿弥の作品には滅する者の悲壮感も、おごれる者へのあてつけもない。そこにあるのはいいしれぬ花である。
 
 竹田出雲、並木宗輔などの合作による「義経千本桜」、並木宗輔の「熊谷陣屋」がめざしたのは癒しにも似た救済である。台本の妙を得るためか、さまざまな工夫をこらしているが、舞台からこぼれ落ちるのは君臣の絆、親子の情愛なのだ。
平家物語作者の意図はどうあれ、読んで何をどう感じるか。鬼界島に流され清盛を憎みつづけたであろう俊寛でさえ、鹿ヶ谷の酒宴で謀ったのは密議だけではあるまい、ホロ酔いかげんで「これはおたわむれを」とざれごとのひとつも成親にいったはずだ。
 
 読者は行間を読んだのではない。知盛にしても波に身を沈める前、「見るべき程の事は見つ。」といい、熊谷は敦盛の首を打つ前、「あはれ、弓矢とる身ほど口惜かりけるものはなし」と詠嘆した。身分でもない、生い立ちでもない、無常でもない、世阿弥、並木宗輔はひらひら散る花の幽玄をみたのだ。それなくして平家物語の永続性はありえず、行間は読者それぞれの生き方である。
 
 
 昭和48年8月、私はインドへ旅立った。沙羅双樹の多くは30bをこえる大木で、インド鉄道の枕木などに使われる、特段めずらしくもない樹木だった。エローラ、アジャンタの窟院、サールナート博、ニューデリー博などの仏教彫刻をみて魅了されたが、それより、カジュラホの彫刻群に幻惑され、インド特有の色と匂いに戸惑った。
ほかの熱帯・亜熱帯地方では、原色あるいは素のままで鼻や目にこびりつくそれらに違和感をおぼえるのだが、そのいやな匂いと色さえ許容せざるをえなくなるのだ。インドはすべてを包み込む。たとえ豊饒と神秘、華美とエロティシズムに満ちていても私はご免被りたい、包み込まれないために。だがインドはある問題を投げかける。人間の本質は何かという問題を。
 
 現実はインドから逃避する、インドが現実を忌避するのではない、私たちが自省と自戒を忌避しないように。私は前足を踏み入れようとして、後ろ足であとずさりする。そして古ぼけた小舟に乗って見知らぬ国へ逃げ出したい衝動に駆られるのだ。小舟の寄港するのが自省と自戒という名の町であることも知らず。
悲劇的ともいえる体験を経、迷いの淵に立たされてなお生きてゆけるのは好奇心を失わないからだ。好奇心を持ちつづけているかぎり希望を捨てることもない。私たちが祇園精舎の鐘の音一つ一つを心に刻もうとするのは、懊悩のなかにひそむ喜びに鐘の響きを合わせようとしているからだ。喜びを体感したいからだ。
 
 あれから悠久とも思える時がすぎ、想像のインドも祇園精舎も遠くなった。いまなお響いてやまぬのは世阿弥と並木宗輔の遠い幽かな声である。変わりはないか、花はみえるかと。

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