Mar. 22,2007 Thu    秋篠寺の苔
 
 たまに奈良へ行くのも乙なものである。それが庭園班の仲間と一緒ならなおさらのこと、HKの言うとおり、まさしく「幸せなひととき」ということになる。
 
 久方ぶりの秋篠寺は見るべきものが多くあった。伎芸天は頭部が天平時代で体部は鎌倉時代ということだが、そのお姿をみれば、天女の本分・吉祥と諸技諸芸の元締めという本領をいかんなく発揮、しかも、金色の塗りがはがれ、黒っぽい顔がリアルで妙にあたたかく、人間味にあふれている。だれだったか、ガングロとつぶやいていた。そういえば、不退寺でのことだが、在原業平の絵をみて、このプレイボーイとささやいてもいた。
 
 不退寺から400bほど南に県道44号(旧一条通り)があり、この道をまっすぐ東に2キロ半進み、突き当たったところが東大寺転害門である。転害門(てがいもん)は三月堂とともに戦乱から焼失を免れ、創建当初(天平)の大らかでどっしりしたすがたをいまにとどめている。
平重衡の南都攻めで東大寺の伽藍のほとんどが焼き打ちにあった。転害門は旧一条通りと奈良街道(国道24号線〜県道754号)とがT字形に交差する場所に建てられた。重衡の主力部隊は、平家物語などによると奈良街道から転害門へ向かったというから、転害門が焼かれず残ったのは奇跡というほかない。
 
 いずれにしても旧一条通りは大仏開眼のおり、聖武夫妻が平城宮から通った道であり、転害門をくぐって大仏殿へ向かったであろうことは間違いないと思われる。秋篠寺はピンクの梅とハクモクレンが満開で、今回のプチ合宿をはなやかに彩っているようにもみえた。大和西大寺駅から秋篠寺へ至る道は風情も何もないのだが、一歩寺のなかに入れば、見事なまでの静寂と、情趣ゆたかな苔と木々が迎えてくれる。
 
 佐紀路の春はまだ浅いのか、境内の苔の色はうすみどりだった。しかし、苔のようす、その色に限りなく庭園班を感じた。物静かではあっても確かな存在感、静寂を装いつつ苔からわき立つざわめき。森の精がいまにも飛び出してきそうな予感。そこにはマイナスイオンがふりそそぎ、身も心もリフレッシュしてくれるだろう。
 


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