Dec. 17,2006 Sun    忿怒の河を渉れ
 
 執金剛神は笑っていた。そうとしかみえなかった。35年前はじめて出会ったときは「走れメロス」の冒頭のごとく激怒していたはずなのに。昨日12月16日、東大寺法華堂(三月堂)で年に一度拝観できる執金剛神と再会した。
1971年当日朝、西宮市苦楽園でMさんと待ち合わせ、阪奈道路・生駒山のヘアピン・カーブを上り下りし、時間をかけてドライブしたのだったが、第二阪奈道路完成後は5580bのトンネルで一直線、時間も短縮し奈良が近くなった。ひどい交通渋滞に巻き込まれなければ、宝塚の拙宅から奈良公園までの60`を1時間で行く。
 
 執金剛神(国宝)は法華堂(国宝)北面の扉を開けると屹立する像高約174aの秘仏である。法華堂は度重なる大火にも焼け残り、凛然たる姿をいまにとどめている。
「平城の爛熟」(人間の美術4)によれば、
「不空羂索観音を本尊とするが、それと背中合わせに執金剛神がいられる。この執金剛神は今は秘仏であるが、おそらくこの像が金鐘寺(日本霊異記に『東大寺の前身である金鐘寺で金鷲行者が執金剛神のかかとに縄をかけて修法をおこなっていた』との記載がある)の主尊であったのであろう。」という。
 
 【ならのみやこの東の山に ひとつの寺ありき 号をば金鷲といひき 金鷲優婆塞 この寺に住しき そゑに これをもて字となしき 今は東大寺となる その山寺に ひとはしらの執金剛神の摂像を居きまつる 行者 神王のすねより縄をかけてひき 願ひて昼も夜もいとわず】
 
 【その光を放ちし執金剛神の像は いま東大寺の羂索堂の北の戸にして立てり】(「羂索堂」=「法華堂」)
        【 】内は新潮日本古典集成「日本霊異記」第二十一記載による。
 
 「良弁はこの像を拝してきびしい修行をしていたのであろう。新しい堂ができて古い主尊が新しい主尊にかわるとき、しばしば古い主尊は新しい主尊と背中合わせに置かれることが多い。とすれば、この執金剛神は法華堂の諸尊のうちでもっとも古いものであることになる。」(上記「平城の爛熟」)ともいう。
(「東大寺要録」によると法華堂は天平五年(733)良弁発願の建立とされ、執金剛神は良弁の本尊と記されている、としている)
 
 
 いうまでもなく執金剛神は一体型の金剛力士でもあり、煩悩を打ち砕き、菩提心をあらわす法具・金剛杵をたずさえ、仏法を守護し、仏菩薩を警護する責務を持つ。その任にある執金剛神の裂けた口、釣り上がった眼から忿怒が消えたなどとは信じらず、自分の目がどうかしていると思わざるをえなかった。首筋と左手の浮き出た血管の迫力も心なしか衰退しているようにもみえた。
 
 1971年12月、Mさんと共にみたとき、堂外は静寂につつまれ、堂内も人影はまばらで、対峙する環境がととのっていた。35年後の昨日、堂内は人でごったがえし、執金剛神を拝むにしても列をつくっていた。さらにわるいことに、前まで来たら知ったかぶりでゴチャゴチャ講釈をいう男女がいた。対峙するには劣悪の環境というほかない。いや、それは昨日わかっていた。事はそういうことではなかった。
あの頃はまだ若かった。私自身、激昂も憤慨もほとんどなく、激怒、憤怒に対して免疫力は弱かった。ところがある日、女にも執金剛神のような忿怒が顔や手にあらわれることを知った。ヤリのような金剛杵を振り下ろすかわりに、Mさんは鉄コブシを振り下ろした。眼には火が走っていた。
 
 この35年のあいだ、私とて激怒することが何度かあった。あるいはそのまま現在に至っていることもないわけのものではない。そういう状況からして忿怒の姿にさほど感応しなくなり、執金剛神のすさまじい忿怒は記憶のなかにだけ存在するのかもしれない。そこまでは昨日浮かんだ。
が、きょうの午後、武庫川河畔を小一時間歩いて思ったことはまた別のことであった。近年、すくなくとも21世紀に入って、仏、菩薩は本来あるべきはたらきを果たしておわすのだろうか。人間のあさましさ、愚かさを憂い、戒め、自省の念を促し、天地人のめぐみを施すべく救済の手をさしのべてこられた仏と菩薩のお姿を間近に感じることはない。
 
 私たちのあまりの剣呑、身勝手、他者への無関心にほとほと寒心され、遠くに離れておしまいになったのだろうか。私たちが魂の救済を神仏に願うのではなく、癒しと称する薄っぺらな何かに求めることを黙してご覧になっているのだろうか。では執金剛神は、仏、菩薩のそういうお姿をみて、何故こんなところで忿怒形を保っていなければならぬのかという疑念を生じておいでなのであろうか。仏法を守護し、仏や菩薩の警護に就く必要があるものなのか、託されたものはいったい何だったのか、そう自問する自分を笑っておられるのだろうか。
 
 魂でさえ自らを知るためには魂をのぞきこむといったのはだれであったか。
執金剛神のあの笑いは21世紀に対する笑いにもみえる。祈ることも祀ることもない生活の明け暮れに、神仏の訪れる場所などないのかもしれない。歴史も人間も同様に繰り返し、もはや怒る気力は失せ、笑うしかほかないのであろうか。しかし、だからこそ、いまあらためて執金剛神に物申し上げたい。君よ忿怒の河を渉れ。

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