Oct. 16,2006 Mon    室生寺雑感
 
 平成3年11月18日、三度目の室生寺だった。室生寺の石段に立つと、古美研時代の仲間への様々な思いが駆けめぐり、美しい五重塔が見えなくなった。20年前に較べると予想以上の人出で、多くのものが変わったようにも思えた。だが、寺の前を流れる川の透明感は昔のままだった。澄んだ川のなかでのびのび泳ぐ魚の群れ。同じ数の魚影。何かが変わるより、変わらないほうが偉いと思ったのを昨日のことのように思い出す。
 
 あのころの早稲田。ラーメン屋「メルシ」で吉永小百合をみかけた。彼女が図書館にいるゾと古美研会員からの情報が入ったときは、わざと行かなかった。恋人でもあるまいし。図書館に通じるスロープですれ違ったこともあった。清楚な人だった。鶴巻町の路地裏で、メガネをかけたひどく背の高い商学部の学生に寄り添っていたのは、名前の売れはじめたころの中野良子だった。めざといMさんが小さな声で「中野良子よ」といった。
 
 二ヶ月後の冬、男の前で顔を隠すように涙を流していた中野良子をみて、わけもなく血が騒いだ。Mさんは険しい顔をしていた。中野良子がそのとき着ていた赤いエナメルのコート、ほどけたスカーフの奥の、雪のように白いうなじが目に焼き付いている。
鶴巻町のそのあたりは路上駐車に便利、学館からも離れているので、人知れずMさんと待ち合わせ、サッと車に乗るのに好都合だった。ところが、見ている者はどこにもいるもので、庭園班のMY君が見ていたと、だいぶ後になって本人が言っていた。だれに聞いたのか、Mさんに最初の子が産まれたと知らせてくれたのもMY君である。
 
 昭和45年(1970)の1月か2月、Mさんから二冊の写真集を手渡された。土門拳の「室生寺」と「古寺巡礼」だった。宝物でも隠すように鞄にしまいこみ、渋谷の下宿に持ち帰った。土門拳の鉈で彫ったような粛然たる表現力に圧倒されたが、なかでも雪化粧した室生寺五重塔の森厳で凜とした佇まいに心を奪われた。
石楠花や紅葉の時期もよいと思うが、雪の室生寺はまた格別であるように思えた。人の少ないことも魅力だった。そう思いつつ、寒がりやの私は行きそびれてしまい、厳寒が峠を越える3月に室生寺を訪れた。それでも、足の爪先が凍てつくような寒い日だった。
 
 三脚にカメラを据えつけ、シャッターチャンスを待っているアマチュア写真家が数人いただけで、境内は閑とし、寂寞たる名残雪の五重塔と出会った。屋外にある五重塔としては日本で最も小さく、小さいがゆえに威圧感は微塵もなく、柔和で毅然とした姿を保っていた。美しかった。息が止まった。
4月、東京にもどった私は、借りた本をMさんに返すとき室生寺のことにはふれず、某班春の合宿先・信州の話をもちかけた。肩すかしを食ったのか、つまらなさそうに話をしていたMさんの顔が浮かんでくる。結局その日はお互いの話が噛み合わないままだった。
 
 あれから何年たったろう。平成10年(1998)9月、奈良県を襲った台風7号は、室生寺五重塔のそばに屹立する巨木を倒し、五重塔をひどく損壊させた。平成12年10月、多くの人々の浄財により五重塔は修復された。春雪の五重塔はいまも心の裡に在る。


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